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恥ずかしがり屋の指物師

津山市 某地域(匿名)さん

 皆さんは指物師といった職業を知っているだろうか。
簡単に説明すると、木を組み合わせて家具や建具を作る職人のことである。
詳しく説明すると、釘や金具を一切使わず、木材同士を巧みに組み合わせる「組み手」を「指す」といい、その技法を用いて細工を仕上げるため『指物師』と呼ばれる。
この技術は日本の伝統工芸のひとつであり、茶道具、箪笥、机、棚など、さまざまな芸術性の高い木工製品の製作に活かされてきた。




指物師の仕事は、単に木を加工して形を作るだけではない。木目や材質の特徴を見極め、それぞれの木が持つ収縮や反りの性質を計算しながら、長年にわたって狂いの少ない製品を作り上げる。そのため、木材に関する深い知識と繊細な技術が求められる。
使用する木材も、桜や欅、檜などの国産材が中心で、それぞれの特性を理解し、適材適所で使い分けることが重要となる。




指物の「組み手」で代表的なものに「ほぞ組み」や「蟻組み」などがあり、これらを駆使することで、強度と美しさを兼ね備えた作品が生まれる。さらに、仕上げには漆塗りや拭き漆、または無塗装で木の風合いを生かす方法など、用途に応じた仕上げ技術も使い分ける。




 江戸時代中期以降は茶道具や書院造の建築に使われる精緻な家具を手がけることで発展し、現代でも高級家具や伝統的な和室のしつらえにその技術が生き続けている。
最近では、伝統技術を活かしながら現代のライフスタイルに合った家具を作る指物師も増えており、手作りの温もりと洗練されたデザインが再評価されている。
指物師の技術は一朝一夕に身につくものではなく、長年の修行と経験を積んで初めて一人前と認められる。
日本独自の木工文化を支える重要な職人であり、彼らの手によって生み出される作品は、時を超えて多くの人々に愛され続けている。




 今回は、津山市で一宮の中山神社などの修繕も行った匿名指物師さんの紹介をしたい。
なんせ恥ずかしがりやということで、名前や住んでいる場所を一切明かさないというのが条件だ。いつものような書き方では、すぐに個人が特定できてしまうため、それを避けるため、取材中の雑談での話を記事にしたいと思う。
取材の中で思ったことは、地域文化や地域の歴史について、非常に詳しい。この時も中山神社についての話になった。
「中山の神は始め楢原に出現して藤内(東内)氏の奉仕を受けた」という。「次いで、田辺の霧山に移り、里人の有木氏の奉仕を受けた」となっているという話だ。




神は自ら鵜の羽を水に浮かべ、「この羽の流れ着くところに留まる」と言われた。有木氏は流れる羽を追って留まった場所が、今の中山神社となっているとのこと。
この有木氏は、備中の吉備の中山の有木神社に本拠を構えていた一族で、備後に吉備津神社を勧請したのが、この一族だ。勧請は吉備の中山を出発し、総社から高梁、成羽と通り、備後に入り、神石の豊松村有木で宿をとっている。その後、備後の吉備津神社へといったルートで、勧請された。有木氏は備後吉備津神社の最初の神主もつとめたとされている。
有木氏は、今でも備後一宮 吉備津神社境内地に広がる市街地域に居を構えている。




 当然、この備後に勧請した『有木氏』と中山神社の社域を定めた有木氏は、同じ有木氏だ。この有木氏の総本家になる現在の当主は、私と同級生で、こどもの頃は良く一緒に遊んだ仲だ。
こんな話で、大変盛り上がった。
この話でも分かるように、吉備の国が4つに分かれる際に、それぞれの一宮が有木氏によって各国に勧請されたということが分かると思う。
他にも、畳や長押の寸法の話や、茶道や茶道具、茶掛け、床飾りの話、また、タンスの話など、話題に事欠かず、あっという間に2時間近くを過ぎていた。
いつもと形式が違うので、結びの言葉にも困るが、これで締めたいと思う。

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