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秘仏を守り続ける

清瀧寺住職 滋澤弘典住職

 津山市東部、河面地区に東寺真言宗の古刹がある。東寺と言えば真言宗全体の総本山でもある。今回取材したのは、東寺真言宗に属する墨池山 清瀧寺だ。弘法大師開基と伝わり、墨池山の山号の由来は、三筆のひとりで、嵯峨天皇、橘逸勢と共に、特に優れた字を書くとして有名な、弘法大師空海が関わっている。
“清滝の一筋落ちる心待ち 濁らば池の墨に沈まん”というご詠歌が残っている寺院だ。




“この地で雨乞いの祈祷を行い雨を降らせた弘法大師が、本堂の奥に昔あった落差2~3メートルの小さな滝で筆を洗ったとされている。その洗った墨が流れ込んで真っ黒な池となったため、その池を『墨の池』と名付けた”
というものである。
この『墨の池』は、現在でも本堂左奥にあり、いつでも見ることが出来る。住職の話だと、『墨の池』と、すぐ近くにある『弁天池』を勘違いする参拝者が多いとのこと。山号の由緒であり、せっかくの弘法大師ゆかりの池で『墨の池』との案内板もあるので、注意して見てもらえたらとのこと。




 さて、清瀧寺と言えば忘れてならないのが、33年に一度開帳され、直近では平成29年の4月に開帳された秘仏『二七面真数千手千目観音立像』。
正面で合唱している手を含め1002本の手が、実際にある『真数千手観音像』。このような『真数千手観音像』は、全国でも10体前後しか存在してない。さらに、二七面の顔を持っている。27面の顔を持ち真数の手を備えた千手観音は、他に現存するものがあるのかも分からないという。 また、目の数は、千手の手のひらにそれぞれあり、二七面にそれぞれもつ54目を足すと1054眼となる。




 二七面のお顔の由来は、地獄界から無色界までの二十五種を救済する二十五面と、観音の本面、さらに阿弥陀仏の仏面を合わせた数で二七面となるというのが一般的に言われる解釈だそうだ。因みに十一面の場合、十種勝利(現世利益)に由来する十面と観音の本面で十一面となるらしい。
 次の秘仏公開は、令和32年(西暦2050年)となっており、歳を重ねた檀家さんとの挨拶では、「次のご開帳まで、長生きせんといけんよ」という言葉にに「ほうよねえ。見れるとええねえ」であったり、「そんなにも生きられそうもないので、次の御開帳は浄土から見させてもらいます」といった会話が交わされるのだとそうだ。




現在、津山市の重要文化財に指定されているこの観音像は、平成29年の開帳の際に平安中期の作であることが確認されたということ。これを受けて、国や岡山県に文化財指定の申請を行えば指定されるかもしれない可能性が出てくるほどのものだ。
その辺りを住職に訊くと、「まだ、そういう話が出た時の対応は考えていない」とのこと。ただ「個人的には、この地にいてもらい、今までのように多くの人を見守って欲しいという思いはある」と話してくれた。




 実は、文化財指定されることは良し悪しなのだ。国宝や重文に指定されると、まず間違いなく、保存のための基準を満たした博物館などに預けなければならなくなる。そして本堂には正確に型を取ったイミテーションを安置することとなる。岡山県の指定を受けた場合でも、同様のことを求められる可能性は極めて高いのだ。
そうなると本当の本尊が、今の本堂から美作地域に住まう多くの人々を見守ることはできなくなるのだ。
しかし、この本尊が国や県の指定となれば、檀家や地域の人々からすると、最高の誉となることでもある。




 住職は、「国や県の文化財に指定されても、されなくとも、『指定されても不思議ではないような価値の高いもの』という話をしてもらえるだけで、お寺には、最高の栄誉ですから」という。ちなみに防犯も絡むことなので詳しくは書けないが、今でも防犯防火対策は万全を期しているということ。
「この先、文化財としての指定がどうなるか分からないが、菩薩さん自らが望んだことが結果となるでしょう」といったスタンスで成り行きを見守っている。
実は、この他にも、こちらも市の指定文化財になっている鎌倉期の宝篋印塔の話しや、幕末に津山で活躍した絵師『中村周介』が天井画として描き、「この絵をもって天蓋とする」とされた『鳳凰』についても、詳しく話を聞いたが紙面に収まりそうにないので、またの機会に紹介させてもらおうと思う。




 最後に、住職から「お寺を心のよりどころ、癒しの場所、気晴らしの空間、何でもいいので、もっと気楽に訪ねてきてほしい」ということだった。そのためにも、もっと開かれた楽しい場所になるように、お寺としても努力もしているとのこと。広い境内に、歴史的な建築物と四季折々の花木もある。檀家でなくとも問題ないとのことなので、一度ぶらっと遊びに行ったらどうだろうか。





 今回、清瀧寺の滋澤住職にお話を伺えたことで、国内に現存する数少ない『真数千手観音像』にも、今まで以上に深い関心を持つことも出来ました。そして文化財を守る立場の住職の思いも伺ったことで、私自身の考える幅も広がったと思えた。住職には、このような機会を頂き、正に「有り難し」以外の何物でもありません。

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