
国風歌舞は、日本固有の舞歌として、天皇の権威を象徴する役割を持ちながら発展しました。その成立は6世紀初頭に遡ると考えられ、大陸からの渡来文化の影響を受けつつも、日本の神話を題材にしていたことが特徴です。古事記や日本書紀の編纂と同じく、国風歌舞も天皇を中心とする国家の形成に寄与する文化的手段であったといえるでしょう。
この時代、大和王権はまだ完全な統一国家ではなく、各地の豪族との関係を維持しながら支配を広げていました。そのため、政治的な権威を強調するための儀礼や祭祀が重要視され、国風歌舞もそうした場面で用いられたと考えられます。特に宮廷では、祭祀の際に舞と歌を組み合わせた演目が披露され、天皇の神聖性を象徴するものとして機能しました。これは後の宮廷文化にも引き継がれ、伝統芸能の一端を担う存在へと発展していきました。
国風歌舞の舞は、流麗な動きと象徴的な所作が特徴でした。古代の神楽や宮廷舞踊の原型ともなったと考えられ、天皇や貴族に向けた儀式の場で演じられました。舞は単なる娯楽ではなく、神々への祈りや国家の安寧を願うための神聖な行為として位置づけられていました。そのため、動きには厳格な決まりがあり、演者は一つ一つの所作に意味を込めて舞ったと考えられます。
一方、歌は叙事的な内容が多く、神話や歴史的な出来事を語るものが主流でした。これは、日本書紀や古事記の編纂と共通する点であり、国家の成り立ちや支配の正統性を伝える手段として機能していました。音楽的には、素朴でありながらも格調高い旋律が特徴とされ、後の雅楽や催馬楽の源流となった可能性も指摘されています。
国風歌舞は、その後の歴史の中で宮廷儀礼の一部として残りながらも、その他は、風俗芸能文化として次第に変化していきました。中世以降、田楽や猿楽といった庶民の芸能が発展すると、国風歌舞の要素がこれらに取り入れられ、新たな形へと姿を変えていきました。しかし、根底にある「舞と歌によって権威を示す」という理念は、能楽など後世の伝統芸能にも脈々と受け継がれています。
このように、国風歌舞は単なる芸能ではなく、日本の国家形成や文化の発展において重要な役割を果たしてきました。古代の人々にとって、舞い踊ること、歌を詠むことは、単なる娯楽ではなく、社会の秩序や信仰、天皇の権威を示すための重要な手段だったのです。現代においても、その精神は日本の伝統芸能の中に生き続けているといえるでしょう。