
創作劇6.23「時をこえ」実行委員長 大田清音さん
実行委員 當間琉菜さん 野原千誉さん 知名美紅さん 上地こころさん 高木健慎さん
「6月23日は何の日ですか?」津山を始め全国の多くの街で、この質問をして正しい答えが返ってくることはまずない。30年前なら「南野陽子」の誕生日と答える人の方が多かったくらいだが、この日は日本の戦争を語る上で、歴史的にとても重要な日となっている。
この6月23日こそが、太平洋戦争の沖縄戦で、旧日本軍の組織的な戦闘が、司令官の自決により終了した日なのだ。この日は沖縄では『慰霊の日』とされ、県内の学校や職場は休日となるそうだ。
沖縄戦では、軍民問わず20万人を超える人が命を落とし、沖縄県民の4人に1人が戦禍の犠牲となった悲惨な戦いだったが、今では沖縄以外では、その歴史も多くの人の脳裏から忘れ去られてしまっている。
これは、沖縄戦のみならず、これに先立つ3月10日の10万人以上が無くなった東京下町大空襲や、14万人とも25万人とも言われる被害者を出した8月6日の広島への原子爆弾投下や、こちらも10万人近い被害者を出した8月9日の長崎への原子爆弾投下についても、同じことが言える。
今回取材した『創作劇6.23「時をこえ」』は、沖縄県人会に所属する美作大学の大学生1、2回生28人が任意参加で構成し、2013年から昨年まで毎年、6月23日前後に沖縄戦や平和を題材としたオリジナルミュージカル劇を上演している団体だ。
今年も例年通り、6月22日に美作大学の体育館での上演が迫る中、実行員会の役員に集まってもらい、取り組みについて話を聞いた。
まず、「時をこえ」の上演は、毎回、参加した学生たちでオリジナルストーリーを作り上げるのだという。今回のストーリーは、沖縄戦の最中の姉妹の話だそうだ。
ネタばれがないように、さわりを教えてもらったので、ここで紹介する。
“戦時下を生きる姉と妹の二人。父と兄は出征し、母と姉妹の女性だけの生活から、姉がひめゆり学徒隊として動員される。その中で母と二人で学徒隊に動員された姉を思い戦火を耐える妹と、残した妹を思い必死で生きようとする姉。この姉妹の心理を通して、戦争の悲惨さと、家族の愛を描く。”
ざっと、このような内容のストーリーになる。
実行委員のそれぞれが、揃って口にするのは、沖縄から津山にやってきて、初めて『6月23日』を迎えた時は、かなりショックを受けたというのだ。
沖縄では、全県挙げて慰霊の日となっているにも拘らず、津山では、何もない普通の日でいつもと同じ日常が流れている。テレビなども、沖縄では特集番組が組まれ、戦争の悲惨さや平和の尊さについて誰もが考える機会となっているが、津山では夕方のニュースで数分ほど扱われている程度。
初めて経験する『誰も戦争の話をしない、誰も平和について考えない6月23日』は、全員が違和感しかなかったという。
日本が繁栄し、人々が日々を暮らしている。何もない普通の平日がある。それは、日本を取り巻く環境が平和であってこその話だ。
この『創作劇6.23「時をこえ」』の活動が、「津山の人達に、平和を考えるきっかけとなって欲しい」との思いもあるが、それと同時に、自分たちも劇を通して平和について再度考え直すキッカケにもなっているという。今まで沖縄で感じてきた戦争と平和を、戦争の意識が低い地で、ストーリーを作り劇として演じるために、再度勉強し考え直す事が必要になるためだ。
このミュージカル劇で演じている側として、何を伝えたくて何を感じてもらうか。平和について真剣に向き合う時間が長くなったそうだ。
何を感じ、何を伝えたいか訊くと、「平和に対して、何か行動する一歩として、この劇に関わっている。他に小さいことからでも、平和につながる何かをしたい」であったり、「戦争が、自分は関係ないとは思わないでほしい。80年前の日本であったことだということを、自分も再学習できたし、見た人にも分かって欲しい」などの声が聞かれた。
今年、美作大学には16人もの沖縄からの学生が入学した。そして、その全員が『創作劇6.23「時をこえ」』に参加してくれた。この劇の実行委員会は、先輩から後輩へと代々受け継がれている。次の実行委員長は今の実行委員長が活動を見ながら評価して指名するのだそうだ。
そのため、実行委員長である大田さんは、この活動全般を通して次の実行委員長に誰が相応しいのかも気にしているのだそうだ。
この先も、後輩から更に後輩へと、長く引き継いでいくためにも重要な責務となる。
毎年、この劇を期待して見に来てくれている人や、家族で見に来てくれている人たちもいる。何よりも平和を訴える機会ともなっている。
この大事な劇を次の代に引き渡せるように、色々な重圧の中で、上演に向けて練習に熱がこもる。今回の取材で、若い人の平和に対する考え思いが、大きく好戦的に変化していないことを感じた。
次の代にもその次の代にも、劇だけでなく思いも共に引き継いでほしいものだ。