アットタウンWEBマガジン

『珈琲』というコーヒー

津山榕菴珈琲研究会
事務局 佐々木裕子さん

津山市城西地区にある城西浪漫館。ここでは、他にないコーヒーが飲める。津山藩お抱えの蘭学者『宇田川榕菴』ゆかりの榕菴珈琲だ。喫茶店や自宅で淹れるコーヒーとは違う。では何が違うのか?
産地やブレンド比率は当然だが、それ以上に違うのは抽出方法。今、一般的に提供されているコーヒーは、ドリップで濾過されて淹れられる。




しかし、日本にコーヒーが入ってきた当初は、コーヒーカンと呼ばれるロケットのように細長い急須のようなもので淹れられていたという。ここでは、そのコーヒーカンを使って当時の淹れ方を再現しているのだ。
この記事では、城西浪漫館で榕菴珈琲を提供している団体でもある『榕菴珈琲研究会』事務局の佐々木裕子さんに話を聞いた。




 『宇田川榕菴』とコーヒーにどんな関係があるのか? と疑問に思う人もいるだろう。榕菴はコーヒーに『珈琲』という漢字を当てた学者だ。また、当時は医薬品としてのコーヒーの普及にも尽力している。生涯を通して江戸(東京)で活動した宇田川榕菴だが、津山藩医で一時期杉田玄白の養子になったこともある宇田川玄真の養子となり、玄真から蘭学の基礎を学んだとされている。




今回取り上げる『榕菴珈琲研究会』は、発足して3年目。宇田川榕菴について研究すると共に、津山藩お抱えに榕菴という蘭学者がいたということを広く周知する活動を行っている。ちょうど行政も宇田川榕菴とコーヒーをもっと売り出したいとの思惑と相まって、カフェマップの作成や、ドリップコーヒーとコーヒーカンの飲み比べイベントなど、行政や学生と一緒になって、様々な活動を行っている。




その他では、平成元年に東京から津山の泰安寺に移された『宇田川榕菴』の墓参りを、命日である6月22日に、話題性を意識して松平家の紋である三葉葵の紋入りカップに当時のブレンド比率の豆をコーヒーカンで淹れた珈琲をお供えするなどもしている。




 しかし、活動の中心は、やはり冒頭でも紹介した城西浪漫館での榕菴珈琲の提供だ。
豆のブレンドは、当時を再現するために、インドネシア産のジャワアラビカとマンデリンを当時の記録のままの比率でブレンドしてある。
ドリップで淹れた場合は一杯700円、コーヒーカンで淹れた場合は1200円(2杯分)となっている。お客さんの中心は観光客で、ネットで見たという人が多い。




 傾向としては、地元の人がドリップ、観光客はコーヒーカンでの注文が圧倒的に多いという。コーヒーカンで淹れたコーヒーを飲んだ人の感想は、一様に美味しいといった反応になっているのだそうだ。香りでなく、味が全く違うというのだ。
佐々木さんによると、コーヒーカンは若干煮だした状態で、豆が自然沈殿するまで待ち、上澄みを飲むため、煮だすことで多くの成分が抽出される上、ドリップで油分やミネラルなどが漉されないので、コーヒー本来の味が楽しめるのではないかという。
また、コーヒーカンのまま出し、テーブルでカップに注いで出すといった、さりげない演出も雰囲気を出す効果となっているのかもしれない。




その、コーヒーカン珈琲は、観光シーズンには注文が重なり、長時間の待ちが出るため、コーヒーカンをもう1本追加したというほどだ。
当時は砂糖も十分入っていたらしく、甘みを求めるというより、薬として普及させる際に、カロリーを取る目的で淹れられていた可能性もあるという。




 そんな『榕菴珈琲』をもっと津山の人に知ってもらうための活動。榕菴は、大垣藩医の息子として生まれているため、岐阜県大垣市と連携して『宇田川榕菴』と『榕菴珈琲』についてPRするなどという構想もでてきている。
仮にこれが実現すると、津山の人だけでなく、全国の多くの人に対しても、『榕菴珈琲』をもっと知ってもらうキッカケになる。




 津山は、『宇田川榕菴』だけでなく、伝説的コーヒー焙煎職人『襟立博保』の出身ということもあり、津山と珈琲について、もっと関心を持ってもらいたいという。
元々私の中では、なぜか津山と言えばコーヒーのイメージがあったが、今後さらに多くの人から津山がコーヒーの聖地として認識される日が早く来ることを願っている。
最後に、『榕菴珈琲研究会』では積極的に会員募集を行っていないものの、一緒に活動したいという方は、佐々木さんを訪ね城西浪漫館まで相談に行ってほしい。

関連する情報