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在原業平と『伊勢物語』

―和歌が映す平安の美意識

今回は久々に、古典和歌を取り上げた話です。
私の大好きな『伊勢物語』は、平安時代前期に成立した歌物語で、和歌と散文が交互に構成される独特の形式を持つ作品です。内容は、名もなき「男」を主人公とする恋愛や旅、別れといった人生の一場面を切り取ったもので、全体を通じて一人の人物の生涯を描き出しているとされます。
この「男」が在原業平をモデルにしていることは古くから広く認識されており、『伊勢物語』は彼の和歌と逸話を文学的に結晶化した作品と言えるでしょう。

平安時代は貴族社会を中心に、和歌が個人の感情や教養を伝える最も洗練された手段でした。恋愛もまた和歌を通じて展開されることが多く、『伊勢物語』にはそうした当時の文化的背景が色濃く反映されています。
物語の中では、男がさまざまな女性と出会い、別れ、時に都を離れて旅をし、人生の喜びや悲しみを歌に託します。それは単なる恋の遍歴ではなく、和歌を通して人間の内面や社会的背景が浮かび上がる、優れた文学作品でもあります。

修辞法の面では、『伊勢物語』の和歌には平安時代の詩的技巧が凝縮されています。たとえば、第六五段で詠まれる、

 名にし負はば いざ言問はむ 都鳥
 我が思ふ人は ありやなしやと


この歌は、「都鳥」に都を象徴させ、旅先にあって都に残した人への想いを問いかける形で表現しています。ここには擬人法が用いられており、「名にし負はば」と語りかけることで、鳥が何か答えてくれるかのような情緒が生まれます。
また、「言問はむ」という言葉には、直接会うことができない相手への切実な想いが込められています。都鳥はただの自然の存在ではなく、恋人との距離や心の隔たりを象徴する媒介として巧みに用いられているのです。

さらに、第十二段では、夜明け前に男が忍び逢いの帰路につく場面が描かれます。ここで詠まれる歌、

 風吹けば 沖つ白波 たつた山
 夜半にや君が ひとり越ゆらむ


では、恋人の安否を案じる気持ちが、風・波・山という自然描写に託されています。「風吹けば」という自然現象の描写は、実際の天候という意味に加えて、恋人の身を案じる不安や心の揺れを象徴しています。自然と感情を結びつけるという点で、この歌にも平安和歌の大きな特徴である本歌取り的感性や、象徴表現が見られます。

在原業平は、桓武天皇の曾孫という高貴な家系に生まれながら、政治的な出世には恵まれず、宮廷内でも異端的な存在でした。しかし、その美貌と和歌の才能、自由奔放な恋愛遍歴は、同時代から後世に至るまで多くの人々の記憶に残り続けています。
『伊勢物語』に描かれる男の姿は、まさに業平の人生と重なっており、彼の感性と生き方を物語の形で伝える文学的な肖像画とも言えるでしょう。

晩年の章段では、若き日の情熱的な恋から一転し、老いと孤独に向き合う男の姿も描かれます。たとえば、山里で一人暮らす老人が都の噂を耳にする場面などには、かつて都で栄華を極めた人物が、今は静かに世を離れている哀感がにじみ出ています。このように、『伊勢物語』は男の一生を貫く人生の機微を、和歌を通して丁寧に描いているのです。

『伊勢物語』は、和歌の技巧と物語の融合によって、一人の感受性豊かな人物の生涯を繊細に描き出した名作です。在原業平という詩人の心の軌跡をたどるうえでも、本作は非常に重要な文学的資料であり、同時に平安貴族の美意識や精神世界を今に伝える貴重な鏡でもあります。作品に込められた情感や修辞を味わうことで、現代の私たちもまた、時を超えて平安の心に触れることができるのです。

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