
今、「地域活動が活発な地域はどこ?」と聞かれると、津山市の加茂地区と答えたいほどに、加茂地区が活発だ。
その津山市加茂町の宇野地区で行われる『宇野アートのまつり』。この、宇野アートのまつりは、2021年に第1回を開催し、今年で5回目を迎える比較的新しい催しとなる。
今回は、『宇野アートのまつり』の実行委員河田美晴さんに話を聞いた。
宇野アートのまつりは宇野地区に関係する人の芸術作品や工芸作品を、宇野地区内でその作品と関りの深い場所に展示するといった趣旨で行われている。

河田さんは、高校を卒業すると農業を嫌って、都会に憧れサラリーマン生活をしたが、自分に合っているのは田舎の暮らしと、親の高齢を機に生まれた地に舞い戻り、結局農業に就く。
絵をかくきっかけは、都会で見た、有名作家の思い出がよみがえり、「自分もまねごとをしたくなり、絵筆をとりました」ということだ。「今も画家ごっこをして遊んでいます」と本人はいう。
若い頃、絵よりも写真に興味があり、給料の3倍以上のカメラを買っていろいろ撮影したりもしていた。また、映像にも興味があり、年配の方たちの8ミリクラブにも参加していた。

若い頃、借家一人暮らしのとき写真もいきづまり、絵を描きたくなってNHKの絵画講座を見たり、美術雑誌を買いあさったりして学び、初めはまるでさまにならないものができるばかりだったと振り返る。
そのうち作品を岡山市内にある親戚の電気店のショーウインドウになんとなく置かせてもらったところ、なんと「欲しい」という人が現れて驚いたという。「自己満足だけではなかったのか」と、「これが悪魔のささやきだった」と本人が言うように、そのまま、今につながっている。

『宇野アートのまつり』に話は戻るが、出品者は、第1回は宇治俊巳さん(木工芸を中心としたコンテンポラリーアート)、河田美晴さん(油彩洋画を中心としたデスプレイアート)、だけだったが、2回目からは今田俊一さん(切り絵)、第4回目から宇佐美雅廣さん(備前焼の陶彫)、そして第5回田村紀子さん(カフェ&手作りパン)と徐々に拡大してきた。

作家それぞれの自宅を中心に、ゆかりの場所に作品を展示するのは、大きな会場へ作品を集めて来場してもらうのではなく、作家の家などに来場してもらい、ざっくばらんな違った雰囲気の中で、わいわいガヤガヤと、作品を褒めたりけなしたり、また出会った人との交流の場として和やかに鑑賞してもらうためだという。

美術館などと気取った場所でなく、作品が生まれた環境と生活に根差した風俗芸術として作品を感じて欲しい、そんな思いからだ。
以前、宇治俊巳さんを取材した際に、「そこにある暮らしを含めてが芸術なんだ」ということを教えてもらった。それを芸術祭として具現化したのが、この『宇野アートのまつり』ではないだろうか。「宇野の景色と風の中、わくわくの新たな出会い」という祭のキャッチフレーズもそれを物語っている。

この宇野アートのまつり、僅か2人でのスタートだったにもかかわらず、祭りと称したのには、理由がある。
開催が、個人的なパフォーマンスに終わるのではなく、発表したい人が誰でも自宅などの展示場所に展示し、祭に参加して欲しいとの思いからだったという。結果、当初の思惑通り、徐々に参加者が増え、知名度も向上してきた。
また、作家でなくとも作品展示と参加は可能だ。宇治さんの奥さんも所属する絵手紙サークルでも今回からUJITEI会場で作品展示をする。芸術かどうか分からなくとも、誰でも気楽にアート祭に参加する。それが、『宇野アートのまつり』の真髄なのだ。

河田さんは、「宇野地区で、まだ参加しておられない芸術活動をされている作家が何人かおられます」という。それらの人にも参加を呼びかけ、今よりさらに隆盛に開催したいのだという。
会場を結ぶ道路に寺内古道という細い道がある。古代の街道となる道で車は通れない。1970年代に農地の大整備があり広い道ができため、そのため役目を終えた昔の道「寺内古道」はやがて消え去るかもしれない。
その道の近くには、かつてこのあたりで砂鉄をとって生活していた人の墓が点在し、無縁墓となっている。

そんな道を歩き、その景色、その風を感じながら、作品についてあれこれ語りあい、話し合いながら過ごすことが、『宇野アートのまつり』なのだろう。
日本人が、忘れかけた日本の風景の中にしかない『風俗芸術』。これが、いつまでも続いて欲しいものである。
















