
衆議院議員 前 内閣府大臣政務官 兼 復興大臣政務官
平沼正二郎氏 寄稿
8月17日から23日まで台湾とベトナムに出張に行って参りましたので、ご紹介とご案内も兼ねて書きたいと思います。私が台湾に行くのは今年、既に三回目でありまして今回の出張では自民党の青年局として全国の青年局のメンバーと共にお伺いして参りました。台湾と日本の関係は極めて良好で、2024年に行われた調査で、台湾の方に「あなたの最も好きな国(地域)はどこですか」という問いの結果、日本と答えた方は76%で2位韓国の4%を大きく引き離す結果になっております。近年のインバウンドブームなどもありますが日本と台湾の関係性の根底には日本統治時代にもあるように思います。日清戦争後の1895年から第二次世界大戦後の1945年までの50年間台湾は日本の統治下にありました。
当初は現地住民による反乱や暴動が多く発生していたようですが、インフラを整備(ダム、道路、鉄道、港、病院、学校などなど)をした統治のやり方は、台湾の基礎となったのです。例えば台湾でもっとも有名な日本人といわれるのが「八田與一(はったよいち)」さんです。八田氏は「嘉南大圳(かなんたいしゅう)の父」と呼ばれており、巨大な水利施設「嘉南大圳」の建設を主導したことで知られております。台湾南部の広大な嘉南平原は、もともと水不足に悩む不毛の土地でありましたが、八田氏は、この平原を潤すために、当時東洋一の規模を誇る烏山頭(うさんとう)ダムと、総延長1万6,000㎞に及ぶ給排水路を建設したのです。
この結果嘉南平原は台湾最大の穀倉地帯へと変貌し、農業生産高が大幅に向上したのです。また、衛生面が当時深刻な問題だった台湾ではマラリアやコレラが蔓延しておりましたが台南・嘉義・高雄などの都市で上下水道の整備に取り組みこれらを低減させました。また他にも後藤新平、新渡戸稲造、羽鳥又男、浜野弥四郎、鳥居信平など多くの日本人が台湾の近代化に貢献しております。ご興味があれば名前で検索して調べていただければと思います。さらにこのような台湾の近代化に貢献した日本人を、台湾では学校で教えており、皆さんが知っているというのも親日感情の向上に寄与しているように思います。
(次号へ)
※このコーナーでは『平沼正二郎』氏の寄稿文を、
原則、原文のまま掲載しています。
















