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地域の誇りと文化を守り続けて 高野神社宮司 河原仁司(かわら ひとし)さん

 津山市(美作の国)二宮の吉井川近くに鎮座している高野神社は今から約一千五百年前、阿閉天皇二年(五三四年)に山川秀麗にして清浄な当地に社殿を営み神霊を祀られたとある。早くから美作三大社の一社として、すでに平安時代には高い神位に位置し延喜式内社として朝廷からも特別な崇敬を捧げられた。後の武家の世となってからも、源頼朝、山名時春、毛利元就、小早川隆景らの諸将が社殿の造営や祭資の献納などに努めたと史料に伝わっている。

 現在の社殿は、後の美作の国主となった森家の二代藩主森長継によって寛文三年(一六六三年)造営されたもので、県の重要文化財に指定されている。

 鳥居をくぐると先ず右側に宇那堤森の津山市指定の天然記念物の巨木が目を引く参道を進むと、石段の手前に随身門と覆屋が迎えてくれ奥の石段を上ればいよいよ緑豊かな境内にたどり着く。そこで目に入るのはひときわ高く反りあがった中山造りと呼ばれる本殿の屋根。入母屋造りに唐破風の向拝という、岡山県北にしかない独特な造りの社殿で参拝者を崇敬の世界に引き込んでくる。



 高野神社は格式だけではなく、そのような立派な構造物と共に狛犬や随身像など貴重な文化財を多く残している神社でもあるので、ここで紹介させて頂く。

 木造獅子、特徴は平安時代の作で木造の二対、合計四体が伝わっている。

大型の一対は平安時代前期の作とされ、像高は約70㎝で現存する獅子像の中でも非常に古い形式を留めている。小型の一対は十二世紀、平安時代後期の作とされ、像高は約26~30㎝、どちらも阿形(口を開けた像)と、吽形(口を閉じた像)が揃っており、角の無い「獅子」の形態である。表面の顔料からかつては金や銀、緑などの色彩が施されていたことが判明しており、現在は岡山県立博物館などで大切に保管されている。



木造獅子の写真(公益財団法人美術院撮影)




木造随身像、彫刻(重要文化財)随身門に安置されていた弓を持つ一対の神像。

応保二年(一一六二年)の銘があり、銘文の残る随身像としては日本最古の極めて重要な遺例であり、平安時代の力強い造形が特徴である。


木造随身像の写真(岡山県立博物館撮影)




 

 今回の取材では、この由緒ある高野神社に於いて代々宮司職を務める河原家に産まれたことで当初いやいやながら宮司職を目指した、現宮司の『河原仁司』さんに文化財の事や地域との関わり合いについて色々と話しを伺った。

 地元の高校を出て神職養成学校である『京都國學院』に進学することを家族から勧められ、当時は宮司になることを全く考えていなかったので、拒否し続けていたが、取敢えず大学だけ行けば後は神職にならなくても良いという条件で進学することになった。その後、大学に通い実習の中で仲間ができ、さまざまな経験を積む中で神職の魅力に気付き、気が付けば高野神社の神職を継ぐことになっていたそうだ。

 そういった経緯で神職になり、高野神社の宮司職を継ぐことになった河原さんだが、指定文化財が多く残るこの神社を継ぐということで、地域文化のど真ん中の場所を守るという義務を引き継ぐことにもなったと言う。

 子供の頃から近所の仲間たちともぶれついて境内狭しと駆けずり回っていた場所が、こんなにも貴重な文化財を、代々のご先祖様が守ってこられていたのかと、成人になって気付き今では地域の青壮年部の先輩や仲間たちと、地域行事とシンクロさせてこの貴重な文化財を多く人たちの宝物として、地域全体で守っていき先々では自分たちの子供や孫たちにも引き継いでもらいと願って居られる。

 今回の取材へのご協力と熱い想いをお聞かせ頂き益々の高野神社の弥栄を願っている。







文章 矢野康史

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