
矢野先生のつやマニアから 日本語は“壊しながら作られた言語”である(第6回)
まずは原文を丁寧に追いながら見ていきましょう。ここには、日本語という言語の「無茶な進化」の過程がそのまま残っています。
(日本語的漢文)の始まり
中国語読みの書き方から日本語読みの書き方に初めて変わった文章
中国─主語+述語(動詞)+目的語の順 作薬師像
日本―主語+目的語+述語(動詞)の順 薬師像作
ここで起きているのは単なる語順の違いではありません。
本来「作薬師像」と書くべきものを「薬師像作」と並べ替えることで、日本人は漢文を“読んでいるふりをしながら、日本語として理解するという離れ業を始めています。これは翻訳ではなく、構造そのものの書き換えです。
漢文にとらわれず、漢字が持つ「音」を利用して普段話している日本語をそのまま表記しようとする。
漢字の音だけを使って全部「当て字」で書く文になる
ここから一気に発想が飛びます。漢字の意味を捨て、「音」だけを借りて日本語を書くという強引な方法です。つまり「読むための文字」ではなく、「話すための音」をそのまま固定しようとしたわけです。
例えば夜露死苦(よろしく) 現在の暴走族も使っている
この一文は軽く見えますが本質を突いています。現代ではネタ的に使われる当て字ですが、当時はこれが“最先端の表記方法”でした。
むかしむかしあるところに
霧歌師霧歌師阿流都故路爾
おじいさんとおばあさんが
於時威佐無都於伐阿佐無我
この部分は象徴的です。完全に音だけで構成された文章は、日本語としては読めても、視覚的には情報量が多すぎて破綻しています。つまり「書けるが、読みにくい」。ここで限界が露呈します。
全ての文字を一字ずつ漢字にすると文字が多く大変
そこで、漢字持つ意味「訓」に日本語を当て嵌める
ここでようやく現実的な解決策が出てきます。音だけでは無理があるため、意味を持つ漢字を使って情報量を圧縮する方向へ舵を切ります。
也麻(やま)を中国読みの山(さん)にあて、加和(かわ)を川(せん)にあてるなど
「訓」+「音」の日本風漢文になっていくことを万葉仮名と言い、
ここが転換点です。音と意味を併用することで、日本語は初めて“書ける言語”として安定します。いわばフル漢字表記からの脱却であり、同時に中国語からの独立宣言でもあります。
この「万葉仮名」の発明により遂に日本人は普段使っている言葉で文章を書く方法を
一応の形で完成させ、その後の「万葉集」「古事記」「日本書紀」がこの万葉仮名で書かれる事になった。
ここで文化が爆発します。万葉集、古事記、日本書紀といった、日本の基礎を作る書物が生まれた背景には、この表記革命があります。
その後さらに簡略化された日本語が生まれ文字を崩したり端折って書く草仮名が使われ始めた。これが日本独自の文字「ひらがな」の始まりである。ひらがなは九世紀には誕生していたとみられている。
しかし万葉仮名ですらまだ重い。そこで漢字を崩して書く「草仮名」が登場します。これは実用性を極限まで高めた結果です。情報の圧縮がさらに進み、ついに“音だけで成立する文字体系”が完成します。
平仮名の発明により日本語を発音通り話し言葉に近い形で書き表すことが出来るようになった
ここで初めて、日本語は「話す言語」と「書く言語」が一致します。これは言語史的に見ても大きな転換点です。
公家の多くは中国から伝わった漢字に固執していたが、当時女性は漢字の使用を認められていなかった為、宮中に仕える女性の多くが平仮名文字を使用して、今でいうメール感覚で和歌のやり取りや物語をどんどん書くようになった。
最後に重要なのが,
既存の権威(漢字)に縛られなかった層が、新しい表現を広げていく。制約があったからこそ、ひらがな文化が発展したという逆説です。
この一連の流れは、きれいな進化ではありません。
語順を壊し、意味を捨て、音だけに走り、また意味に戻り、最後は文字そのものを崩す。
普通なら失敗する試行錯誤を、日本語はすべて通ってきました。
しかしその結果、日本語は「音・意味・表記を自由に行き来できる言語」になったのです。
この柔軟さこそが、日本語の最大の強みであり、同時扱いづらさでもあるのです。















