鯨一頭七浦潤すと言われ肉から骨まで捨てる部分のない鯨は当時の日本人の重要なタンパク源だった。
特に見どころは、それぞれの舟に役割りが決められており、会場でも一目でわかるように舟の両舷側(げんそく)に鮮やかな色彩で、桐と鳳凰をはじめ、松竹梅、割り菊、菊流しなど様々の模様が、舟の役割を表すために描かれている。
船団の内訳は次の通り。
●勢子(せこ)舟 18艘
1艘の乗組員は15人。最も敏捷に動作して鯨を追いかけ、銛で突き、捕える重要な役割の舟である。そのため舷側には、派手な花模様などで他の舟との識別がしやすいようにカラフルに彩色もされている、船団中1番目立つ舟である。
●網(あみ)舟 10艘
1艘に12、13人乗り、櫓(ろ)の数、6挺(ちょう)立て。
山見番所と連絡を取りつつ指定の海域に網を張り、勢子舟の追って来る鯨を待つ。
●持左右(もっそう)舟 6艘
1艘10人乗り6挺立て。勢子舟の突き捕った鯨を、2艘の舟の舷で左右からはさみ、舟の間に渡した横木に鯨を縛り付け、それを勢子舟に引かせて持ち帰る。舷側の模様は比較的地味なものが多い。
●樽舟 1艘
8人乗り、6挺立て。漁場で網の浮きに使う樽が流失するので、その樽を拾う役目の舟。舷側には太い白い線が引かれ、その上に赤い海老が描かれている。
●道具舟(納屋舟ともいう)1艘
10人乗り6挺立て。捕鯨に必要な道具や食料などを運搬する。舷側には、輪模様であまり目立たない模様が描かれている。
●替舟 3艘
勢子舟が激しい作業で破損したときの予備の舟。替舟の一番には桜の花を散りばめた派手な模様が描かれ、続いて替舟2番、3番がある。
以上、すべての舟の舷側の模様がちがっており、全船団が揃うと実に見事な眺めであり、昔日の紀州熊野の古式捕鯨船団の姿を彷彿とさせる。
主宰
MY記念館 館長 津山郷土玩具研究会
代表 杉元耕司