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和歌における流派と披講における流派

和歌にも流派があるのです。
大きく分けると、二条派、京極派、冷泉派、それに江戸時代中期に二条派から分かれた桂円派が主な流派になります。
しかし、和歌の流派の違いについて、一般の私が見ただけでは、全くといっていいほど理解できません。
それどころか、どこがどのように違うのか調べてみましたが、その解説内容についても難解過ぎてよく分からない状態です。
そこで流派の歴史についてだけでも説明します。

大筋では、京都で歌の世界の覇権をを掛けていたのが、二条派と京極派になります。
それに対し冷泉派は、坂東の武家の間で主流となり、京都を中心とした覇権争いとは別異なる歴史を歩みます。




二条派と京極派という和歌の流派争いは、それぞれ大覚寺統と持明院統と結びついて南北朝の争いにも影響を与えます。
三条北朝は京極派の風雅和歌集(勅撰)を出し、京極派は勢いを増しますが、観応の擾乱をキッカケに衰退していきます。
二条派は滅びゆく南朝の和歌を遺すため新葉和歌集(准勅撰)を出すなど和歌と政権の結びつきを示しています。
南北朝が終わると足利義満により二条為右が誅殺され、二条家の血統は断絶したのです。
その際に二条家が行っていた祭祀は下冷泉家が引き継いで、現在に至っています。
流派の実権は、房総平氏庶家の東氏をへて三条西家(藤原氏で公家)に伝わり、現在の二条派の隆盛へと繋がります。
二条派隆盛のまま、江戸時代中期まで時は流れますが、1800年ころに桂円派が二条派から分派する形で成立します。
桂円派は三条西公勝の子、清水谷実業から地下(天皇家に使える職で殿上間へ昇殿することを許されない者)の香川家に伝えられ、香川景樹が伝統的権威とする二条派和歌に反発し、桂園派を起こしたとされています。
以上が和歌の歴史となって今につながっているのです。


和歌の流派には詠草だけでなく披講についても流派があります。披講とは、簡単に説明すると、曲節を付けて歌を詠みあげる行事だと思ってください。
こちらは、和歌の流派とは異なり、儀式の所作や発音、節回し等のはっきりした違いがあり、披講は綾小路流と冷泉流に分かれます。
被講会は、次のメンバーで構成されます。



読師(どくじ) 司会にあたる
講師(こうじ) 節を付けずに全ての句を読み上げる
発声(はっせい) 講師に続いて第1句から節を付けて吟誦する
講頌(こうしょう) 第2句以下を発声に合わせて吟誦する



綾小路流と冷泉流の大きな違いは、節回しになります。
綾小路流の節回しは甲調・乙調・上甲調とあり、冷泉流は甲調・乙調・乙の甲調・乙の乙調とあります。
実際に聞いてみれば分かると思うので、ネットで動画をさがすなり、県下では難しいと思いますが、機会があれば積極的に観に行って、違いを感じて欲しいと思います。

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