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SNSと現代短歌

 短歌と聞いて、読者の中には若者をイメージする人は、少ないのではないか。
実際は、ここ数年間、短歌を詠む若い人が、ずっと右肩上がりで増えているのだ。
短歌と言えば「難しい」などのイメージから、二の足を踏む人が多いと言われている。しかし今、若者たちの間で流行している短歌は、五七五七七の三十一音というルール以外はルールが全くない。俳句の様に季語を使う必要もない。
普段、皆さんが使っている言葉と仮名使いでいいのだ。古語を使う古典和歌や、文語体で旧仮名を使う近代短歌と異なり、誰でもとっつける。
現代短歌が流行しているのは、それだけが理由ではなく、歌に対する評価の仕方ではないだろうかと感じる。
古典和歌なら、オブラートに包むような間接的な表現と、序詞、縁語、掛詞などの華麗な装飾技法も評価の対象になる。これに対し近代短歌は、時間、場所、人、情緒など詠まれた歌の情景が想像できるような表現をすることが評価の対象となりやすい。そして現代短歌の評価基準は、詠まれた歌の表現に共感できれば何でもいい。
若者たちの間で、「エモい」という単語で表現されている評価基準がある。エモーション(共感)からくる言葉だそうだ。「うん。分かる分かる。めっちゃエモい」などと言われる歌が評価が高いのだ。

 この記事を書くに当たって、サラっとネット上で、『現代短歌』『SNS短歌』について調べてみた。
2016年12月7日に配信された記事『若者に短歌ブーム…きっかけはSNS 「自分の気持ち表したい」』で紹介された歌にこんな歌がある。

「会いたい、と言えば会えなくなるんだろう いっぽん道をひとりで帰る」

勝手に引用して、このような事を書くのは申し訳ないが、今までの短歌の感覚なら、「一本道ってどんな道?周りに家があるの?」「これは朝?昼?夕方?はたまた夜?」「『会いたいと言えば会えなくなるんだろう』についても、たまに会う人?ずっと会ってない人?」など表現としては、極めて未熟で、言葉の選択も表現の分かりにくさに拍車をかけている。

しかし、現代短歌の評価基準はこれで良いのだろう。
「一瞬の気持ちを歌にした」だけで、シチュエーションは要らないのだ。
逆に共感を全面に押し出すためには、情景が想像できるということ自体が、もはや邪魔なのかもしれない。
それぞれの歌を見る人が、個々のシチュエーションに当てはめて、感情移入していく事で『エモい』ポイントが上がっていくのではなかろうか?。

以前このコーナーで紹介した

「初出社 ホーム目指して 息切らす
 ヤバイよヤバイ マジヤバすぎる」

という歌。これなどは初出勤の朝で遅刻しそうな情景は、それなりに想像はできるが、ほんの日常の一コマを切り取って、ヤバイという感情だけを全面に押し出している。
この歌では、現代短歌の評価としては、初出勤の朝といった情景が想像できる分だけ、共感できる人数が減ってしまう為に『エモい』ポイントを高く感じる人が少なくなってしまうのではないだろうか。

このように、歌自体の評価基準が変わることで、文学として独自の発展をしている真っ只中なのかもしれない。
しかしながら、万葉集から、古典和歌、近代短歌へと流れて来たやまと歌。
それぞれの時代の歌の良さを知った上で、それを残していくことも、同時に重要ではないだろうか。

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