
老ひ梅の余力限りと見せゐるや
わずか二輪の花のいとほし
橋本 眞佐子
●近代短歌の写生詠の見本のような文語調旧仮名短歌である。やはり格調高く奥行きのある歌とはほぼほぼこのような詠まれ方をしている。
近代短歌は明治時代後半から昭和にかけて、それまでの古典短歌から「写生短歌」を推奨し短歌革新を図った正岡子規や「アララギ派」の斎藤茂吉、島木赤彦、窪田空穂、木下利玄などが推し進めた短歌や、「明星派」と言われる与謝野鉄幹・晶子夫妻、その他にも若山牧水、石川啄木、北原白秋など多くの歌人を排出した。
さて、掲出歌は作者が庭の梅の古木を詠んだものである。作者の若い時分から早春に華やかに咲き、寒かった冬からやっと陽射しの温かさを感じさせられ、時には沈んだ心を励まされ、時には和ませてもらった梅の木も、近頃老いて来たのか樹勢の衰えを感じさせ、今年は僅かに二輪しか花を咲かせてくれなかった。愛おしみつつ今まで作者と共に生きてきた梅の古木に対する感謝の念を感じさせる一首である。
新雪の上に付きたる足跡を
辿れば過去が眼の前にあり
岸元 弘子
●今年の冬は思いのほか長く、三月の彼岸の入りにまで雪が降る有り様であった。
東京では桜の開花が告げられた三月末まで雪がちらつき、昨年夏の猛暑が嘘のようで四季が、極端に暑い夏と寒いさむい積雪を伴う長い冬の二季になってきている。
やっとこの地域にも桜が咲き始め、春めいた季節になってきたがつい二週間ほど前まで積雪が有り、この短歌のような状況は筆者も散歩の朝などに目にしていた。
この掲出歌は、下の句がこの歌の作者を象徴するような表現で詠まれている。
上の句の「新雪の上に付きたる足跡を」と写生的に詠み始め、下の句に移る時にそれまでの写実から切り替えて「辿れば過去が眼の前にあり」と「過去」という時間軸を持ち出し、その足跡を辿っていけばすぐ眼の前に新雪に踏み込む前の小さな過去がそこには有るよ! と。根雪でなく、新雪なのでそこに付いている足跡もほんの少し前に付けられたに違いない。眼の前の過去とはどんな過去なのだろう?
深くふかく眠りの井戸を掘ってゆく
あなたの夢を見ない層まで
田上 久美子
●この短歌は今年の三月二十九日の東京代々木のNHK全国短歌大会が開催され、応募された約二万首の中から特選二首の次の秀作十八首の中の一首に、撰者十名の中の永田和宏先生によって選ばれた現代短歌で、初句の「深くふかく」が特に秀。
現在は、短歌界に於いて明治からの近代短歌から戦後に起こった結社にとらわれない岡井隆などの、当時としては前衛短歌と呼ばれた時代を経て俵万智の「サラダ記念日」でインパクトを与えた口語体現代仮名遣いの、生活そのものや作者の心情を歌に詠み込む現代短歌への変換期である。特にここ三年ほど前からは二十代の若者が表現の自由を駆使しながら、三十一音の定型詩である短歌を本に纏めて販売し販売部数が小説や俳句の句集を上回り、都会ほど若者が短歌を作り始めている。
この歌の作者は「あなた」への想いを逆説的に詠み、「あなたの夢を見ない層まで」と、そこまで掘らなければ常に想い続けていて辛いからと表現していて秀歌。
桃咲きて股(もも)の裳(も)も揺る恵風に
百(もも)の想ひを腿(もも)にぞ受けむ
千葉 二朗
●またまたご登場の掛詞(かけことば)を駆使される作者の、久しぶりのことば遊び短歌である。
「もも」の掛詞が「桃」「股」「裳も」「百」「腿」と五種類も登場する。(笑い)
しかも、ちゃんと上の句から下の句への相聞のやり取りとしても成立させている、れっきとした(少々色っぽい歌ではあるが)平安風和歌としても読める。
歌意は、あなたは桃の花が咲き心もそわそわし始めて、太股(もも)を纏(まと)っている裳(も)も(着物の裳裾(もすそ)も)恵風に揺れると言われている。恵風は春吹く、万物を成長させるめぐみの風なので、百(もも)の多くの想いとして私もこの腿(もも)に受けとめましょうぞ。
勿論そのままの直接的なラブコールとしてだけでなく、春のそわそわした心の裡(うち)をやり取りしている感がよく表されていて、筆者はこういう短歌を詠む人が最近なかなか見られなくなった事に淋しさを覚えている。平安文化を感じさせるこの「掛詞短歌」や「折り句短歌」などこの作者の知識の広さにリスペクトしているのだ。
今月の短歌
信長の
血を 吸ひし蚊の
子孫かと
安土城址に
ぴしゃりと潰す
矢野 康史
矢野康史さん プロフィール
あさかげ短歌会津山支社代表。全国あさかげ短歌会代表。津山市西苫田公民館と一宮公民館の2カ所で短歌教室を指導している。津山市文化協会副会長。
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