
青草に点描のごとく鏤(きざ)まるる
キンケイギクの花々の黄(きい)
森川 浩延
●今月号は我があさかげ短歌会の中では若手の部類、新進気鋭の4名の歌人の作品を掲載させて頂く。それぞれ個人的には短歌を勉強され、中には新聞の歌壇に投稿されていた方もいたようであるが、やはり短歌は自分だけでやっているとある程度までは上達するが、日記短歌(誰にも見せないので、自分の中だけで詠んで満足する)で終わってしまう場合が多い。
物事に対する感情や表現の仕方は十人いれば十の感性、表現の方法もみんな違っていてそれぞれ間違っているとは言えない。ただ、自分はこれが最良の表現だと思っていても、存外他の人にはそのまま伝わっていない事が多々有るのも事実である。
そこで短歌倶楽部のような仲間達と短歌会に作品を提出し、お互いの歌を歌評し合うことは大変勉強になる。この歌の表現も作者の独創性が際立つものであり、その点は評価に値するがこの作者もまだまだ伸びしろをを感じる。
墓所に百合夜空のもとで白く立つ
聞こえし聲(こえ)はリメンバー・ミー
白川裕美子
●この作品の作者も最近我が短歌教室の門を叩いて来られた新人さんである。
短歌は自分の「思い・心や感情」を三十一音の定型で表現する日本独自の短詩である。では、なぜ三十一音の定型でなければならないのか? それは日本の言葉は5音と7音を組み合わせる事によって文章に独特の流れを生み、思いや感情を相手に伝え易くする効果を持つからと考えられる。つまり重要なのは5・7・5・7・7の三十一音の定型が生み出す流れなのである。
勉強していく上で新人さんが気を付けなければならない事は、自己陶酔型のナルシストにならず客観的に物事を感じ、一首の中に多くの事象を詰め込もうとしないで伝えたい事をその一点に絞って表現する。ややもすると初心者ほど一首の中にあれもこれもと詰め込み過ぎて焦点がぼやけ、読んだ人がこの作者はいったい何を伝えたいのか?と心に響かない。この作者も素直に勉強されれば将来性を感じられる。
おふくろの飯はペロリと喰っちまう
だけど時間は噛み締めなきゃな
溝曽路健太
●我が短歌教室きっての若手歌人である。弱冠20代。まだまだ歌作りを始めて経験値が浅いのは否めないないが、筆者が短歌を始めた30代から比べれば早くから短歌に興味を持たれ、大学でも短歌の勉強をされてきたそうで羨むばかりである。
若いから、まだ良い歌を作れないとは決して言わないが、奥行きの深い短歌の世界を彼も古典短歌から近代短歌、俵万智からの現代短歌までひと通り勉強はされてきたそうである。確かに浅くではあるが少し古典風短歌も提出されている。
さて今回の掲出歌は、今の若者らしい現代短歌である。まず、良いところを褒めるとすると完璧にバリバリの現代短歌でありながら5・7・5・7・7のキチンと短歌の定型を守っている。現代の若者短歌の中には破調といって、この定型を無視しようとするヤカラがいる。筆者は現代の自由な表現の拡大には賛成だが、定型を無視する破調短歌は短歌とは認めない。それはポエムという分野でやれば良いのだ。
あの向こう 若葉の群を煌めかす
「きっと行けるよ」背中押す風
仁木 理恵
●東京や横浜といった都会では今、若者たちが短歌の良さに目覚め無名の歌人たちが出版した歌集が、普通の小説よりよく売れていると聞く。万葉の昔、若き男女が集い歌垣という今で言うコンパのような出会いの会を催し、歌や踊りでお互いカップルを作っていたのだが、今の若者たちはスマホやパソコンでLINE短歌やメール短歌を送り合い、お互いの気持を確かめ合っている。手紙や葉書をスマホなどのアイテムに変えているだけで、自分の思いや表現を三十一音で伝える手軽さを実感しているから流行っていると思われる。その点地方に行くほど高齢者の趣味と思われている事が情けないのだが、津山でも最近若い人たちが短歌を始められている。
掲出歌は、現代短歌を象徴するような歌である。初句の「あの向こう」は抽象的な表現だが、作者の未来を予想する(自分の目指す場所)なのだろう。それを想起させる二句「若葉の群を煌めかす」と表現し結句の「背中押す風」は自己自身の確信に近い強い思いを表現して巧い! 今後も勉強を期待出来る歌人の登場である。
今月の短歌
湯上がりの
浴衣(ゆかた)のきみの
解(ほつ)れ毛を
はぐれ蛍は
ゆらりと点(とも)す
矢野 康史

【短歌作品募集】
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