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川柳でほっこりと

真庭市勝山 元勝山川柳会会長 原健裕さん

 昔ながらの建物が多く残り、情緒溢れる街並みで有名な真庭市の勝山。
その勝山に川柳を詠む名物おじいさんがいる。
学校で教諭をしていた頃は、川柳先生として、学校で子どもたちに川柳を作ってくるように指導し、作品を廊下に掲示するなどしていた『原健裕』さんだ。
自宅も川柳双裕庵として開放し、自ら詠んだ川柳を掲示している。今回は、そんな「川柳おじいさん」こと、原さんに話を聞いた。





 大学を出て勝山に帰り、教諭として勝山の子供たちに接し、校長まで勤め上げた。
先にも書いたように、川柳も教育に取り入れていたが、その時、子どもたちの感性に驚かされたそうだ。思わず「ニヤリ」とするような、ほっこりした川柳を詠まれることが、時々あったという。
川柳といえば、社会風刺の作品ばかりがイメージされるが、原さん曰く、風刺だけが川柳ではない。嬉しいこと、腹立たしいこと、悲しいこと、楽しいこと、喜怒哀楽を表現するのが川柳の本質だそうだ。





原さん自身も、喜怒哀楽の中でも、嬉しいこと、楽しいことを詠み、見た人が「ニヤリ」とするような、そんな川柳が目標なのだという。
例えば、お酒を飲むにしても、「ほろ酔い」が一番気持ちが良い。
飲みすぎて泥酔しても、気分が悪くなったり、二日酔いになったりする。川柳でのチョットした「ニヤリ」は「ほろ酔い」にあたり、いい感じなのだそうだ。
 怒ったり、悲しかったりする川柳は、後味が悪くなり、嫌らしくなることもある。ドギツイ社会風刺についても同様で、原さんは、出来るだけ楽しい川柳を詠むことを心がけている。思い返しても、新聞社に詠進した川柳も、ほっこりしたものが選に残っているのだそうだ。





 以前、勝山で活動していた『勝山川柳会』。原さんは、その会長を長く務めていた。
残念ながら、現在は、解散し活動を完全停止している。
それまでは、会員が集まり川柳を詠んだり、詠進をしてもらって、月に一回、冊子を発行していた。
冊子を作るには、兼題を決め告知をし、集めた川柳を選をして評を付ける、それから印刷をしてもらい冊子にする。これが大変な作業なのだ。
選をするときは気を遣う。上手な人のみを毎回選べば、選ばれない人がやる気を失いかねない。かといって、上手く詠めてない歌を選してしまえば、これも不満の声が吹き出しかねない。かなり神経を使うのだという。
この作業を、40歳の時から60歳になるまで続けてきた。
原さんの会長退任から、後任会長がいなかったため、解散する運びになったという。

それでも、84歳になった今も、朝日新聞、山陽新聞には定期的に詠進を続けており、定期的に選にも入っているという。2月にも、新聞社で選に残った。
そんな時は、知り合いから電話があるなどの反響もある。原さん以外の元会員も、会としてまとまっての活動はないが、それぞれが詠んだものを詠進したり、個々で活動しているという。





 原さんの話に戻るが、川柳は俳句と同じ、575という17音の中で表現が制限される。その中で感情豊かに心を詠むことが求められる。
そこで原さんが心がけて詠んでいるのは、川柳を構成する3つの句のうち、一つの句だけきらりと光らす。
全てを綺麗に詠むと案外いい川柳にならない。外れを二つ入れ、一句だけ光らす。外れの二句で油断を作るのだという。これにより、光る一句は、より輝くのだそうだ。
男性から見た女性と一緒で、普段は気にも留めないが、たまにチラリと見える表情に、ドキッとくる。川柳もこれと同じように作れば、「ニヤッ」とする川柳が詠めるというのだ。
しかし、これが難しく、上手く詠めない。だからこそ、その難しさが面白い。
そう教えてくれた。

 現在は、農業も息子に任せて、今は、ゆったりと川柳を詠む事を楽しんでいるという。
私としては、原さんが元気であるうちに、勝山川柳会を復興される方が現れて、再び勝山が川柳の盛んな街として、脚光が集まることを期待している。
古い街並みと暖簾、それにさらに川柳が加われば、観光にもプラスになるばかりではなく、勝山に住む人々の文化も豊かになるのではないだろうか。
川柳の街、勝山。私は、それを期待したい。

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