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能登半島地震発生時の震災対応について(全4回)第1回

衆議院議員 内閣府大臣政務官 兼 復興大臣政務官
平沼正二郎氏 寄稿



1月1日に能登半島地震が発生しました。今回の地震によりお亡くなりになった方々に心より哀悼の意を表するとともに、被災された全ての方々にお見舞いを申し上げます。
私は防災担当の政務官ですので今回の地震に関して、初動の対応がどのようなものであったかをご紹介できればと思います。

まず私自身ですが、発災直後に緊急招集がかかり、すぐさま首相官邸に向かいました。発災時、私は津山におりましたので、津山線に急遽乗り新幹線で東京に向かい官邸の危機管理センターに入りました。あまり詳細は申し上げられないのですが、この危機管理センターというのは総理官邸の地下にあり(映画「シン・ゴジラ」などでも危機管理センターに模される部屋で閣僚などが会議しているシーンがありましたので想像できる方も多いかもしれません)被災状況などを一元的に管理し、対応する場であります。

今回の地震は半島での地震という事で様々な困難が生じました。半島という特性上半島の奥(奥能登地域)に行くには主に2本の幹線道路を使用することになるのですが、海岸側は土砂崩れが多数発生し、またトンネルなども埋まってしまっている関係でほぼ使用不可でした、残りは内陸部の1本になるのですがこちらも多数の箇所で崩落などがあり、すぐには使用できない状況でした。

よって自衛隊及び国土交通省TEC‐FORCE(テックフォース)による道路啓開を実施し、いち早く被災状況の把握や孤立集落へのアクセスが可能となるように対応しました。もちろんヘリコプターを使用した空からのアクセスも行っておりましたが、この時期、能登地方は天候不順が多く、思っていたようにヘリコプターが飛ばせない状況もありました。

また海岸からのアクセスですが、地震により海底隆起がおこっており(高いところでは4m以上)港湾に船が接岸できずこちらも困難を極めましたが、一部海岸においては自衛隊の大型ホバークラフトを使用してショベルカーや車両などの機材を送り込み、道路啓開をするなど、あらゆる手段を用いてアクセスを試みました。

(次号へ)


※このコーナーでは『平沼正二郎』氏の寄稿文を、原則、原文のまま掲載しています。

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