7月と言えば「祇園祭り」
全国にある祇園信仰の神社は7月の14日を目安に、お神輿を出し、氏子域を練り歩きます。
最も有名なのが京都の祇園祭で、豊臣秀吉の時代に優雅で豪華絢爛で贅を極めた祭りに発展しました。
残念ながら美作地域では、祇園信仰の神社はあるものの大きな祇園祭がなく寂しいばかりです。
ところで「祇園祭り」の由来、意味って知っていますか?
神社本庁でさえ、「素戔嗚尊をお祀りし疫病から守ってもらう」といった意味のことを言っていますが、実は大きな間違いです!
素戔嗚尊は庶民を、これぽっちも守ってくれたりしません!
だって疫病神ですから!
病気を撒き散らし、人々に災いをもたらす神が素戔嗚尊です!
こんなことを書くと神社本庁から怒られそうですが真実です。
祇園祭りは、食中毒や熱中症など病気が蔓延するこの時期、平素より悪行を行わないようにお祀りしていた素戔嗚尊が抑えきれなくなり、厄病神としてのパワーを全開で見せつけられているんです。
そこで素戔嗚尊を「なんとかしなきゃ」ということで、人の住まうエリアから追放することにしました。
しかし街中に住まう分霊も含めて、全て追放しないと意味がありませんね。
そこで、街を形成していた3ヶ村それぞれに神輿を出し、分霊を集めて辺りに人の住んでいない山の上に追放しました。
「素戔嗚尊は人を殺めることはあっても、守ることはありません。」
パワー全開で悪行を始めると誰も抑えきれなくなるので、騙して遠くに連れていく。
これが本当の「祇園祭」なのです。
疫隈の国「素戔嗚神社」では、今でも神輿を人気のない山の上にある御旅所まで引き上げ、神輿を帰すまでの間、夜を超え休むことなく延々と神楽を舞い続けます。
これは素戔嗚尊が退屈をすると里まで降りて悪さを頑張るので、絶対に切らせられないのです。
因みに京都や福岡では、祇園祭の最中はキュウリ断ちをすると言われていますが、実はこれも本来の祇園祭からすると大嘘です。
吉備国から吉備真備が廣峯神社に勧請し、それが京都に勧請される際に間違えて伝わったと考えられます。
キュウリは体温を下げる野菜です。
栄養価のないキュウリをわざわざ食べる目的は体温を下げるためで、それを断つのはいかにも不合理じゃないですか?
実際、疫隈の国の祇園祭の日は、今もタコとキュウリの酢の物を必ず食べます。
素戔嗚は、若いころキュウリの盗人に畑に入ったときに、柵にしていた竹が目に刺さり失明して以来キュウリが大嫌いらしいのです。
素戔嗚尊の大嫌いなキュウリは「分霊を集める神輿を担ぐ人を守る」ため、必ず食べるのです。
そのせいで、祇園祭当日の昼前には、どのスーパーからもキュウリとタコが売り切れで消えてなくなります。
さて、今回の話どうでしたでしょうか?
前回の蘇民将来の話から引き続きの、これが祇園信仰の真実です。
美作地域では、茅の輪くぐりを7月末にするところも多いですが…。
梅雨で食中毒(疫病)が流行る前にしないと故事に因んだ祭りの意義が微妙になりますよね。
そして、それでも抑えきれなくなると祇園祭で追放なんですが…。
そうそう祇園祭の神輿が三体なのは疫隈の国の3ヶ村で三体の神輿を出したのが、勧請先で今も続いてるためです。
京都の祇園祭も「三若」「四若」「錦」の三体ですよね。
(禄胤)