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津山 城東町 町並み

津山城の東側の集落、林田町、中之町、西新町、東新町、勝間田町など、旧出雲街道に面した城東町並みが重要伝統的建造物群保存地区となっています。

現在の町割りは、慶長8年(1608年)に就いた津山藩初代藩主森忠政時代のもので、一つ一つ名前の付いた小さな路地に「なまこ壁」や「袖壁(そでかべ)」、「虫籠窓(むしこまど)」など、当時の面影をそのまま残した建物が連なっています。
旧街道は城下町らしく、途中で何箇所も鍵型に折れて続いています。
長さ1キロを超える保存地区の6割以上にあたる約160棟が伝統的建築となっており、
火の見櫓が象徴的な作州城東屋敷や、江戸時代に建てられた町家が保存されている城東むかし町家などはが、市によって整備されているなど、見どころが満載です。


城東むかし町家
豪商だった旧梶村家の住宅を改装したもので、町家は元禄時代に建てられたものと伝わっています。
主屋は江戸時代の終わり、西の部屋は明治時代、北の2階建てと洋館は、大正時代、そして昭和初期に西蔵、茶屋が建てられており、江戸時代から昭和時代にかけてそれぞれの時代の生活様式に合わせた建築様式などを見ることができます。

間口31.5メートル、奥行き34メートルの敷地にて改築されている。
梶村家は1767年に茂渡籐右衛門(しげとうとうえもん)が「札元並」という町役に任命され、「藩札」の発行をし行い、その後数代にわたり「札元」を務めました。
それまでは、吉井川を行き来していた「高瀬舟」のいろいろな品物を取り扱っていたといわれています。


作州城東屋敷(さくしゅうじょうとうやしき)
1993年に、市が観光客の無料憩所や町並み保存運動の研修などに活用する目的で江戸時代の町家を再現した建物です。町家建築の粋を凝らした建物となっており、白壁と火の見櫓が目をひき威風堂々とした大屋根、なまこ壁、出格子窓、焼き杉で外観が構成されています。
施設内は、木造2階建ての箱階段や10畳の屋敷と60畳の大広間などがある町家と、だんじり展示館、消防機庫などです。
栗の柱に松の梁など、漆喰の白い壁と黒く塗られた木材で江戸時代の風情が味わえます。
ここには、案内の女性がいらして、様々な話をしてもらえました。



箕作阮甫旧宅(みつくりげんぽきゅうたく)

箕作阮甫旧宅は、箕作家が元禄時代から居住した住居で、入場無料で公開してあります。
旧宅の中は、箕作阮甫に関するパネル開設や展示物等もあります。

12歳で家督を継いだ阮甫が、1812年に14歳で現在の津山市戸川町にある邸宅に転居するまでの少年期を過ごしました。

旧宅はかつて出雲街道と呼ばれた街道沿いに位置し、木造平屋建で、延面積148.861平方メートル。
通りに面した間口4間の幅に対して奥行17間程度と長いのが、まず注目されます。
道路に面した部屋は、店や仕事場となり、奥の方には「オクザシキ(奥座敷)」が取られ、その後庭は「前栽」、「坪庭」などと呼ばれ、小ぢんまりと造られており、さらにその奥に、離れ家、土蔵などが建っています。
道路に面した面したスペースは仕事場として使われ、奥に奥座敷、その奥に坪庭があり、さらに奥に離れ家や土蔵などが建つ、江戸時代末期の街道筋の町家の特徴を現在まで残しています。
箕作家転居後には、明治から大正時代にかけて、鍛冶屋、豆腐屋などに使用されていました。
史跡に指定された当時すでに建物全体が老朽化して雨漏りや損傷が激しかったため、根本的に解体復元が検討されました。
復元に際しては、阮甫が居住していた当時に復元することを目指しましたが、遺構調査でも詳細が不確定な個所が多く、江戸時代末期の町家として復元工事が行われました。
また、幾度かの洪水によって受けたと思われる痕跡もみることができます。

町医者であった箕作阮甫の旧宅は、表の店の間には、防護のために格子が組み込まれているなど、よく江戸時代の姿をとどめているます。
国の重要指定史跡となり、再整備され当時の町家がそのままの雰囲気で解体復元されています。



津山洋学資料館(つやまようがくしりょうかん)
津山洋学資料館(は、幕末から明治にかけての洋学を専門とする博物館です。
津山出身の洋学者・箕作阮甫の生家である箕作阮甫旧宅が国史跡の指定を受けて復元されたことから、津山に縁ある洋学者を顕彰する機運が高まり、洋学の研究施設として旧妹尾銀行林田支店の建物を活用して2010年に現在の場所に新築・移転されました。
旧津山藩を始め、作州地域は日本の近代化に貢献した優れた洋学者を数多く輩出しており、その資料が展示してあります。

外観は、木造やレンガ造りの建物が組み合わさったような、実際には一つにつながった鉄筋コンクリート造り平屋建ての建物です。
ホールと展示室の平面は、五角形を基本として、それを巧みに組み合わせた形になっていて、「津山洋学五峰」と称される(宇田川玄随・宇田川玄真・宇田川榕菴・箕作阮甫・津田真道)を表しています。
展示室の壁は、津山藩医・宇田川榕菴が、西洋の植物学を伝えたことから、西洋風の植物をモチーフにオランダ北部の港町ヒンデローペンの伝統的な絵付け技法で装飾してあります。

現在、収蔵する資料は、国内でも唯一残っている「解体新書」の初版本などをはじめ、約9,400点と膨大で、全国でも洋学に関する資料は最多となります。
館内の常設展示は大きく3つの部屋に分かれていて、それぞれ「人体に隠された科学への扉」「世界へと開かれていく眼」「日本の近代化と津山の洋学者」をテーマに、時代を追って津山の洋学を理解できる構成になっています。
併設の図書館にも津山の洋学に関する資料がたくさんあります。
貸し出しができないのは残念ですが、津山出身の蘭学者を調べることができます。

前庭には、以前には市内に点在していた洋学者のブロンズ像が集められていて、中庭は、漢方薬の原料となる植物を集めた庭園となっています。
館内には、この庭園をピンホールカメラで覘けるコーナーが設けられ無料で除くことができます。
資料館の建物沿い、旧出雲街道から上之町筋を抜ける小道は「薬草の小径」とよばれ、様々なハーブが植えられています。

夏休みなどは絵付け体験教室や化学実験など様々なワークショップなどが開催され、地域の方を中心にたくさんの参加があります。
敷地内に喫茶室の和蘭堂があり、お安く紅茶やコーヒーなどやケーキやワッフルなどが頂けるのはうれしい限りです。



河野美術館....河野磐
河野美術館は河野氏の正時代から続く町医者の生家である医院と、江戸後期の町家を改装して、私設美術館として開設されました。
土曜、日曜の午前に入場無料で解放されており、苅田酒造の道の向かいに現在も往時の姿を留めています。
中に入ると、今でもその至るところに医院の名残を見ることができ、町家部分は住宅として後継者の方が利用されています。
午前10時〜午後5時開館で2台分の駐車場が有りますので車で行くことも可能です。

所在地: 津山市橋本町~東新町
電話: 0868-24-6288(城東観光案内所)
(ライティング:星護 禄胤)

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