今日は京都の祇園地区で火事があり置屋数件が全焼だったみたいですね。
祇園と言えば、もう祇園祭の宵々々々山です。
四条通の歩行者天国が始まっているかもしれませんね。
夏祭りと言えば祇園祭か天神祭のどちらかですが、美作地域に大きな夏祭りがないのが、とっても寂しい限りです。
先日も書きましたが、「備前・備中・備後・美作」吉備国全体でも備後国を除いては、夏祭りは盛んではなく、少し全国から取り残された感もあります。
以前、祇園宮の本当の総本宮は福山市にある『素盞嗚神社』であることをお伝えしましたが、それを証明するような話があります。
出雲から中国山地を超え、鞆の浦までの道筋の話です。
鞆の浦は、ちょうど瀬戸内海の真ん中に位置し、潮の流れが満ち引きとも鞆でぶつかります。
西から潮の流れに乗って航行していた船も、鞆の浦を超えると潮に逆行するため、瀬戸内海を航行する全ての船が一旦、鞆の浦で停泊します。
そのため、最も重要な港として古来より争奪の的となっている地です。
話は戻って、出雲から中国山地を超えて、たどり着くのが『神石(じんせき)』です。
成羽川の水源もこの辺りですね。
その神石から南下する際に『神谷川(かやがわ)』に沿って下ります。
神谷川を下っていると左にある高い山が『蛇円山(じゃえんざん)』です。この山は大蛇がどくろを巻いてた山で、ヤマタノオロチの巣との伝説が残っています。
さらに南下して神谷川が『芦田川(あしだがわ)』に注ぎ込む近くに『素盞嗚神社』が鎮座しています。
ご存知「茅の輪」の茅は芦とも言いますよね。
さらに、そのまま山を越えると『神村(かむら)』という地区に出、そこを東に行ったところが『神島(かしま)』になります。
そこから、南に進路を変えるとすぐに、東洋のポンペイと言われる草戸千軒になります。
そこから船で鞆の浦にはすぐです。
これが素戔嗚尊が、北海から南海に移動したルートだといった話が残っています。
なんか出来すぎた感もあるくらいにハマってますよね。
まだ、この話は続きがあります。
それはまた明日書くことにしましょう。
(禄胤)