昨日は素戔嗚尊の道について書きました。
出雲を出発した素戔嗚尊は、中国山地を超え神石を通り過ぎ、神谷川を下り蛇円山を脇に見ながら芦田川の合流地点に鎮座する素戔嗚神社に到着し一泊します。
翌日、素戔嗚神社を出発して山を越え神村に向い東に折れ神島を通過し、草戸千軒を目指します。
ここまでが、昨日まで書いたことです。
昨日も案内したように実は、ここから続きがあります。
この話は余りにも、上手に出来すぎています。
この話が出来すぎているので、後から作っている話だと言われています。
出雲から鞆の浦まで遠征してきているのは、素戔嗚尊だけではないのです。
時代は下がって室町時代、山名氏がやはり山陰から鞆の浦まで攻めてきています。
その際に、街道ではなく最短距離を通り一気に攻め入ったのですが、その際に通った道がこの素戔嗚ルートだと言われています。
山名氏は自分が通ったルートを、素戔嗚のルートとすることで、自分たちを神格化し威厳を示すために地名を付けなおしたものと考えられています。
最後まで話をするとちょっとしたオチになってるお話です。
(禄胤)