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津山市中島の嵯峨井堰(哀しい歴史もある)

2019年11月07日

江戸時代初期に森藩が今の津山市平福地域の整備のために嵯峨井堰の工事を行いました。


吉井川の洪水や氾濫が村人たちを苦しめていました、それも「吉井川の龍神の祟り」だと思われていました。

祟りを鎮めるための、女子の人柱を捧げる事になり、村人は困っていたそうです。


そんな時院庄に住む少女

お福

が自ら人柱になると申し出ました。



お福を人柱にした事により工事は順調に進み井堰ができたと言う事です。



今は整備も進み

コンクリートで固められていますがお福の勇気ある申し出によって今の美しい風景と、豊かな暮らしが成り立っていると思うと感慨一入ですね。



春には桜並木が素晴らしく、夜桜はまたとてもいいです。

私はお福の話を夜桜を見ながら

山田美那子さんに教えてもらいました。


彼女の語りはすごい臨場感があるので、心に残るんです。




今の時期は

ススキの河原がきれいです。




一度行ってみませんか?


取材先で愛育委員さん手作りのお弁当をいただきました。


ありがとうございました。


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