追い立てられ感で
なんかざわざわする時があります。
そんな時には広い空だとか
雄々しい山を見ます。
おーい
雲よ
やけに悠々としているじゃないか
どこまでいくんだー
ずーっといわき平のほうに行くんかー
原文は
雲
おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきさうぢゃないか
どこまでゆくんだ
ずづと磐城平の方までゆくんか
山村暮鳥
好きな詩です。
小学校の頃に習った詩ですが、結構覚えているものです。
暮鳥の生い立ちは複雑。
父は婿養子で母はいつも泣いていたと言う。
穏やかな今の子ども中心に夫婦手を取り合う環境ではなかったのでしょう。
幼くして彼は自ら家を出ます。
様々な苦労をしたのですが、やがて両親の元に戻り神学校の臨時教師をしキリスト教と出会うわけですが、伝道師をしながらも彼の文学的情熱を持ち詩作に励みました。
私が
共感を覚え
その喜びが分かるのが
この詩です。
暮鳥は自らの文学表現を疑ったり否定する時期が来ます。
「技巧に走り、だんだん下手になっているのではないか」
と。
その時に作った詩がこの「雲」だそうです。
暮鳥は素直な自分の表現に心安らかになったと言います。
「嬉しくてたまらない」
雲ができた時に暮鳥は行ったそうです。
まさに
表現者として追い立てられていたのでしょう。
暮鳥は
詩集『雲』の発刊を目の前にしながら40歳で亡くなりました。