体言止め
雑誌や新聞記事やエッセイ、小説などでも、よく使われる『体言止め』。
元々は和歌の手法だったんです。
この説明に「よく使われる『体言止め』」といった感じで、体言止めを使ってみました。
体言止めは、名詞や代名詞で文章を終わらせる手法です。
効果としては、「余韻を残す」「余情を誘う」と表現されますが、私としては体言止めを使うことで、その周辺を想像させたいと思って使います。
一般には、かしこまった文章では、あまり使わないものですが、和歌の世界では、非常に使いやすく『新古今集』の頃から、盛んに用いられてます。
物名(もののな/ぶつめい)
隠して詠みこんだ歌で、「隠し題」とも言います。早く言えば『隠し言葉クイズ』だと思えば分かりやすいです。
隠し題と言えば折句が思い浮かびますが、折句との違いは、五七五七七の頭に隠した文字をつなげて隠し題とするのが折句、先に紹介した掛詞や縁語などの技法を巧みに使い、文章の中に隠し言葉を入れるのが物名です。
古文などのテストなどによく使われる『鶯』句を例に挙げてみます。
『心から花のしづくにそほちつつ
憂く干ずとなみ鳥の鳴くらむ』
春の花の枝を可愛く渡りながら、鳴く鳥の姿を謳ったものですが、「憂く干ず」に掛詞で『鶯』が隠されています。
沓冠(くつかぶり/くつこうぶり)
折句の中で、最も難易度が高いものです。
五七五七七の頭の文字で折句を作るものを『冠折句』。尻の文字で作るものを『沓折句』。そして、頭と尻の両方で作るものが『沓冠折句』となります。
沓冠折句は少なく、例として使われるもの、ほとんどが、これから紹介する『合せ薫物少し』です。
“逢坂も はては往来の 関もゐず
尋ねて訪ひこ 来なば帰さじ”
あふさかも
はてはゆききの
せきもゐず
たづねてとひこ
きなばかえさじ
この太字の部分を順番にむと『合せ薫物少し』となります。
これが、沓冠折句です。
この場合は、どちらとも上から下へと折句を使っていますが、次に紹介する歌は、冠が上から下へ、沓が下から上に使われています。
“夜も涼し 寝ざめのかりほ 手枕も
真袖も秋に 隔てなき風”
よもすずし
ねざめのかりほ
たまくらも
まそでもあきに
へだてなきかぜ
“夜も憂し 寝たく我が背子 果ては来ず
なほざりにだに しばし訪ひませ”
よるもうし
ねたくわがせこ
はてはこず
なほざりにだに
しばしとひませ
これは、兼好法師と頓阿法師の歌のやり取りですが、送歌と返歌の双方に沓冠折句が使われています。
兼好法師は「よね(米)給え」「銭も欲し」と頼んだのに対して、頓阿法師は、「よね(米)はなし」「銭少し」と返事したわけです。
頼みにくいことを折句にし、伝える。そんな遊び心がいいですよね。
係り結び
今のメールやSNSで使う文章で言うと「!」「?」に該当するのが『係り結び』の係り部分です。
係助詞(例)
「ぞ」「なむ」「こそ」は、現在の利用例で言うと「!」になります。
今日〇〇をする。→今日こそ〇〇をする。→今日!〇〇をする。
「や」「か」は、現在の利用例で言うと「?」にあたります。
暑い。→暑いか。→暑い?
結び(終止)部分
基本は「連体形」ですが、“こそ”を使った場合のみ「已然形」になります。
「連体形」や「已然形」などというと、勉強みたいで難しくなるので、あまり意識せず流しても読めるので、雰囲気で読んだ方が良いでしょう。
“散ればこそ いとど桜は めでたけれ
うき世になにか 久しかるべき”
この歌の意味は、「桜は散るからこそ、この上なく美しい。今、世の中で、姿を永遠と保つものなど何もない」となります。
何もない3句切れの歌ですが、『散ればこそ』に対し『めでたけれ』で終わっているので、この部分が「係り結び」になります。
しかし係り結びが成立していることより、散ればこそとして、散ることを強調していることに、この句の味わいがあるように感じます。