アットタウンWEBマガジン

JR津山線 誕生寺駅 《後編》

2022年04月14日

駅めぐり 周辺紹介編

先月号に続いて誕生寺駅の周辺紹介。
さて誕生寺の裏手には勢至堂があります。
法然さんは幼名を「勢至丸」その名前から付けられたであろうことは容易に想像できます。
その勢至堂は、法然さんの両親の霊廟となっており、周りには産湯の井戸、他に五輪石塔などの史跡が残されています。
 誕生寺を後にし、南隣の奥の院であった浄土院に向かいます。
こちらも浄土宗の寺院で、誕生寺の奥之院のとのことです。
昔は、法然さんの生家の菩提寺として漆間家の前にあったそうですが、旧漆間家が誕生寺となった時に誕生寺内に入り、奥の院となったそうです。
今は、浄土院という別のお寺として現在に至っているようです。
 そして次に目指すは、時切稲荷神社。天正15年(1586)創建で元々は誕生寺の鎮守社だったようです。
この稲荷神社は「とっきりさま」と呼ばれ、縁起によると「何月何日何時までに」と、時を切って祈願すれば、必ずその時までに叶えられるというお稲荷さん。ちょっと面白い神社です。

 最後に、紹介したいのが『義民 河原善右衛門頌徳碑』。義民として祀られるのは江戸時代の一揆の首謀者として処刑された人になります。
碑には以下のように刻まれています。
  ”君姓は河原氏通称善右衛門下弓削の人なり資性仁慈物を愛す夙に利世安民の志あり国主森侯君を擢でて大里正と為す部内交通便ならず又屢水旱の患あり君鋭意之が改善を図り大に土木を興して道路を通し橋梁を架し運河を開き堤防を築き佐良川弓削川塩内川等の河道を改修し田を得ること数十町特に池溝を修築すること十六灌漑段別三百余町に及ぶ民庶永く其恵に頼る国主厚く之を嘉賞し大に殊寵を蒙る不幸貞享二年四月廿六日寃を以て歿す(後略)“  
地元の人に見せしめとするために、この地で磔刑が行われたのでしょう。住民の為に自らの命を捧げる。そんなことがこの地で起こっていたと思うと、複雑な思いがあります。

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