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小さくても偉大な美術館(津山市東一宮 M&Y記念館)

津山市街の北部、東一宮。
区画整理され、広々した歩道に街路樹が心地よい岡山県北で、しゃれた雰囲気を醸し出す街並み。
グリーンヒルズ近くの住宅地に、ひっそりとある美術館。
それが今回お邪魔した『M&Y記念館』だ。




グリーンヒルズから、草木を満喫しながら入れるが、今回は住宅街の方から入る。
2階が入り口になっているため、階段を上がる。
広くなっているテラスから入り口を入れば、カフェスペースがあり、その奥が展示室になっている。




『M&Y記念館』のMは、あの有名な版画家の棟方志功。そしてYは地元鏡野町の上斎原出身の詩人、柳井道弘の頭文字だ。
棟方志功は岡山県北の津山、鏡野と非常に縁が深い。
柳井道弘と棟方志功は、東京で出会い、親交を深め親友といえる間柄であった。
以降度々、柳井道弘の故郷を訪ね奥津温泉に、よく浸かりに行っていたと記録されている。
また、津山で、ある女性と激しい恋に落ちたというエピソードも残している。




この美術館では、代表作の「釈迦十大弟子」12枚が一同に見られる。
それだけではなく、さらに貴重なものを所有されている。
岡山48連隊にいた柳井が出兵する際に、弾除けにふんどしに絵を描いている。




柳井はふんどしとして使うには忍びなく、腹巻として腹に巻いて戦場に赴いたという。
その『ふんどし』だ。
展示規模からすると、入館料500円は若干割高にも感じそうなものだが、内容を見ると満足される人も多いのであろう。








柳井道弘
1922(大正11)年岡山県上斎原(現鏡野町)に生まれ、1940(昭和15)年上京し、萩原朔太郎に師事して明治大学文芸科に入学する。
朔太郎の紹介で保田與重郎を訪ね、同年棟方志功とも出会い、のち保田と棟方は柳井の生涯の師となる。
この年、萩原と保田両師を顧問に山川弘至らと同人誌『帰郷者』を発行。
卒業を半年くりあげられ1942(昭和17)年10月より現役兵として入隊し以後兵舎から詩文などを冊子『コギト』に発表。

終戦後除隊し郷里上斎原で農業に従事しながら、保田らの冊子『祖国』に同人として詩を発表し、1954(昭和29)年、戦中の作品『花鎮頌』(はなしづめうた)を日本芸業院から出版、棟方志功が板刻し巻頭を飾っている。
 2002(平成14)年春秋詩社から復刻版が刊行されている。

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