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郷土の歴史から学ぶ

郷土史研究 和仁守さん

 津山市田町で、月に一回水曜日の午後になると、10名前後の会員が集まって、勉強会が行われている。毎回、テーマを決め資料を作り、互いの自主研究の結果を共有する。集まるのは、地域在住の歴史好きな仲間ばかりだ。
勉強会というよりサロンという性格の方が強いのだそうだ。勉強会の名称は『守史会』史(ふみと)を守る会とも読めるが、実はこの歴史勉強を主宰する和仁守さんの“守”と藤木靖史さんの“史”を一文字ずつとったものだそうだ。
今回は、この勉強会を主催しているひとり『和仁守』さんを取材した。




 来年には90歳を迎える和仁さん。教員をしていたが60歳で退職をしてから、趣味で地元の偉人の研究を行っているそうだ。
代表的な成果として、津山市出身の『齋藤武夫』(さいとうたけお)の研究がある。『元日本航空最高顧問齋藤武夫の生涯』と題し本として出版され、郷土の人物研究誌として知る人ぞ知る貴重な出版物となっている。
『齋藤武夫』といってもピンとこない読者もいると思うが、『西東三鬼』(さいとうさんき)と言えば多くの人が分かると思う。その『西東三鬼』の兄に当たる人物だ。
『齋藤武夫』はあの、連合艦隊司令長官山本五十六の盟友でJAL(日本航空)設立時の最高顧問に就任し、日本の航空輸送の発展に大きく貢献した人物だ。




 また、他にも幕末から明治にかけての岡山県下の偉人で、幕末に活躍した備中松山藩の藩士だった学者、『山田方谷』の研究を行う方谷研究会にも所属し、佐幕派の松山藩にあって開国を持論とし、戊辰戦争でもいち早く恭順の意を表して、開城に動くなどの行動をとった山田方谷についても、深く調べている。
さらには、方谷が教鞭をとった、閑谷学校がもたらした岡山県北地域に及ぼした影響についてなども研究をしている。
もともと藩校だったが、明治に入り一般庶民を受け入れて郷校となったことにより、閑谷学校で学んだ人が地域に帰り、そこで教鞭をとることで、閑谷学校へ行けない人達まで、教養が広がって行ったと結論付けている。
 まだまだ、取材の中でも、天保5(1834)年津山藩で正式採用され、明治以後は一般にも普及し50を超える種類の泳ぎ方が今も伝わっている、神伝流泳法の植原六郎左衛門の研究成果。昌谷精渓(さかやせいけい)や関藤藤陰(せきとうとういん)など、郷土が輩出した偉人が多い美作、備中、さらには備後までの話を聞くことが出来た。
濃く深い内容にも和仁さんは、「こんな感じで、歴史談義をしたり、情報交換をしたりしとるんです」と軽く話す。




 この歴史サロン的な研究会『守史会』は、この時代を中心に、歴史に興味がある人なら誰でも参加することができるのだそうだ。
和仁さん曰く、「田町で場所を借りて開催しとるので、場所代とコピーや用紙代などの資料作成の実費で、恐らく会費1,000円だったかな?」が必要になるが、会員申し込みをすることで会員となることができる。
会員になれば、開催日がLINEで送られてくるので、それに対し出欠を返信するという仕組みだそうだ。
ただ、スマートフォンを持ってない、使えないということを前もって教えてもらえれば電話での連絡をしているという。
勉強会に出席の返事をした場合には、若干の時間は気にせず午後1時頃に、一切かしこまらず、ブラっと立ち寄る感覚で来て欲しいとのこと。
元々、皆と情報交換をしながら一緒に勉強がしたいということで集まっていることもあり、終わるのもだいたい午後4時頃、用事があれば抜けてもいいという感じだ。
問い合わせは、和仁さん、藤木さんなど、会員の連絡先を知っている人は、そちらへ連絡して欲しい。もし、参加希望で誰も会員の方を知らない方は、アットタウンへ連絡をしてもらうと取り次ぐこともできる。




 さて、今回の取材の中で和仁さんから伺った、「歴史を調べて楽しむことも大事だけど、歴史から学び、今に生かす」その言葉で、歴史に興味を持つことの重要性を再認識させられた。
同じ事柄からでも、その歴史をどう評価するかによって、学ぶ内容も変わってくる。
取材を終わって、『今に生かすための歴史を学ぶ』ことの難しさを感じている。
一生の課題となるような、深い教えを貰えたことに感謝したい。

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