以前にも『都々逸』という言葉遊びについて触れたことがありますが、今回は少々掘り下げて書いてみます。
そもそも、『都々逸』って何?という方のために、簡単に触れてみますと、短歌などと同じ、日本古来から重用される7音と5音の組み合わせによって構成される詩となっており、7音7音7音5音の並びで、合計26音によって成り立ちます。
代表的な『都々逸』としては、
“立てば芍薬 座れば牡丹
歩く姿は 百合の花”
“惚れて通えば 千里も一里
逢えずに帰れば また千里”
などがあります。
7音を前半で3回も連続させることで、自由な雰囲気を感じさせています。
この『都々逸』の成り立ちは、花街から生まれたとされています。
東海道五十三次の四十一番目の宿場、「宮宿(みやしゅく、みやじゅく)」にある「神戸(ごうど)」と呼ばれる繁華街から始まったと伝わります。宮宿は熱田宿ともよばれる熱田神宮の門前町としても栄えた町です。
このような花街から始まった遊びということもあり、誰が始めたかも不明となっています。
また唄う場合の節回しについても、短歌の披講のような流派などによる厳密なルールなどは一切なく、三味線の伴奏に乗せ、自由な節回しで唄われていました。
また、唄う事が前提なため、節に合わせ7.7.7.5を、さらに3.4・4.3・3.4・5と細分化されていきます。
『都々逸』も明治の中ごろになり、短歌と同様に唄うことをせず、文芸として楽しむ遊び方が生まれます。それに伴い、それまでになかったルールが出来てきます。
文芸化した『都々逸』では、最初の七を「上七」、二番目を「中七」、三番目を「下七」、最後の五を「座五」と呼び、節回しが不要なため、上七と下七には、4.4となる場合に限り、字余りが認められるようになりました。
同じ様な新しい言葉遊びである川柳でよくある連用形で終る句ですが、都々逸ではそれを「川柳止め」といって禁止しています。
『都々逸』の文芸化によりルールが出来たとはいえ、さほど複雑ではなく、庶民の中に浸透していきます。
特に昭和に入ると、映画の寅さんではないですが、7音を重ねて長くした上で、啖呵売りの口上で使われるようになりました。
寅さんの
“やけのやんぱち 日焼けのなすび
色は黒くて 食いつきたいが
わたしゃ入れ歯で 歯が立たぬ。”
とかは有名ですよね。
また、演歌の前口上も7音を重ねて長くしたり、7音7音7音5音を繰り返すなどの方法で使われるようになりました。
これらは、純粋な『都々逸』ではありませんが、『都々逸』から発展したものには間違いありません。
どうでしょう。『都々逸』も面白いと思いませんか。