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流觴曲水

流觴曲水(曲水の宴)をご存じでしょうか?
りゅうしょうきょくすい(きょくすいのうたげ)と読みます。

 現在の和歌に関連する行事にあって、最も華やかなものとなるのが、この流觴曲水ではないでしょうか。
流觴曲水を簡単に説明すると、曲がりくねる水路に羽觴と呼ばれる鳥の形をした船に盃を載せて流し、それが自分の前を通り過ぎるまでに、漢詩や和歌を詠むという遊びになります。
 これは、そもそも古代中国が発祥と言われ、秦の昭襄王(嬴稷)の時代に始まったとも言われています。古代中国では羽觴には木製のものばかりでなく陶器のものもあり、すでに華やかなイベントとして成立していたようで、杯が自分の前にきたとき、詩を読めない人はお酒を飲まされるルールが既にあり、故意に詩を怠ることで、お酒を楽しんだ人も少なからず居たとの研究もあります。
日本へは飛鳥時代の頃に伝わったと考えられており、奈良時代の終わりの頃には宮廷を中心に盛んに催されるようになっています。
その後、平安時代になると和歌の発展に伴って貴族の邸宅などでも催されるようになりました。
長い歴史の中で、途中幾度かすたれた時期がありましたが、その都度復活させ現在に至っています。




 今、催されている流觴曲水は、九州の大宰府で毎年3月の初旬に『曲水の宴』として1963年に鎌倉時代に貴族の館で催されていたものを復活させたと言われています。以降、京都の城南宮や平泉の毛越寺など、全国12か所では毎年、開催されています。実はこの文化が、今のひな祭りのルーツとも言われているのです。ひな祭りの人形飾りからかけ離れているので、首をひねる方もいらっしゃると思いますが、羽觴にお酒を入れて流すことと、人型を船に乗せ災いと共に川に流す行為が似ていると思いませんか? この流しびなの原型が、流觴曲水だと言われ、お酒飲むことが甘酒を飲む風習へと変化して現在のひな祭りになっているのです。

 流觴曲水の魅力と言えば、和歌の朗詠などもありますが、多くの方が期待するのは、まるで京都の葵祭を見ている様な平安絵巻を再現した衣装、男性なら直衣、狩衣、女性であれば袿や唐衣を着こみ、一連の所作を行う姿ではないでしょうか。
当、津山市においても衆楽園に曲水庭園となる部分があり、流觴曲水をイメージしたようなイベントが曲水の宴と銘打って行われてはいますが、残念ながら流觴曲水はありません。
宮廷文化や貴族文化とは無縁な地域とはいえ、せっかく庭園があるのですから、定期的と言わないまでも、津山で流觴曲水が催されるようになればいいのにと希望しています。

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