
城東むかし町家(旧梶村邸)
一昨年から、会場であった東蔵の扉が壊れ、長らく開催が中止となっていた、城東むかし町家(旧梶村邸)の郷土人形展が、11月から再開されている。
この展示会は、長らく、津山郷土玩具研究会(代表 杉元耕司)が主催し開催していたもので、再開した今回からも、同じように津山郷土玩具研究会が主催する。
さて、再開後の最初の展示内容は、忠臣蔵。
この忠臣蔵の物語は、数十年前までは、毎年、年末が近づくと、映画やテレビ時代劇が放映されるなど、日本人なら、誰もが知り愛され続けた題材だ。
忠臣蔵は古くから人気があり、江戸時代でも、浄瑠璃、歌舞伎、芝居など、忠臣蔵公演を行えば、寄席が満杯になると、様々な書物で伝わっている。
その忠臣蔵、播州赤穂(現在の兵庫県赤穂市)にあった赤穂藩の物語だ。中心人物となる浅野内匠頭とその家臣の忠義と面子を重んずる武士社会を描いている。
主人浅野内匠頭の仇となる、吉良家本所屋敷に討ちいった内匠頭家臣団「赤穂浪士」47士。その中で、実に3名もの浪士が、当地、津山とゆかりの深い人物となっている。
ここで、津山ゆかり赤穂浪士である、神崎与五郎、横川勘平、茅野和助について簡単に紹介する。
神崎与五郎
赤穂藩廃絶後、突如逐電した、家老大野九郎兵衛父子の家財を目付として、出向いて封印したのがこの神崎与五郎。その際には、同じ津山出身の横川勘平も同行していたとある。
横川勘平
大野九郎兵衛父子の逐電の際、家財を目付として神崎与五郎と出向いて封印した。
そして、吉良邸での茶会の日取りを入手したのも横川勘平
吉良家と付き合いがある家に代筆業としてもぐりこみ、12月14日の返書を書いたとされる。
茅野和助
槍は屈指の使い手で、自眼流居合をよくし、討ち入り時には得意の半弓(小さめの弓で、座って射ることが出来る)を使って奮戦した。
と、こんな人が津山ゆかりの赤穂浪士だ。
それぞれが、ストーリーに関わる重要な働きをしている。このように、津山にも縁のある忠臣蔵にまつわる、郷土人形展。忠臣蔵を身近に感じる、いい機会ではないだろうか。
また、赤穂浅野家の領地である赤穂も、浅野内匠頭の妻になる瑤泉院の実家のある三次も、この津山と距離的には近く、この点からも少なからず縁を感じる。
そんな、郷土人形忠臣蔵展の開催は、1月31日までとなっており、途中、年末年始をはじめとした休みと、営業時間については、城東むかし町家と同じなる。
【場 所】 津山市東新町40 城東むかし町家 東蔵ギャラリー
【電 話】 0868‐22‐5791
【期 間】 1月31日(木)まで開催中
【休 館】 火曜日、12月29日~1月3日
【営業時間】 9時~17時(入館は16時30分まで)
※予定は変更になる場合があります。
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