美作土居駅を降りてほどなくの場所に重厚な造りの高麗門がポツンと建っています。
この門は土居宿の西惣門で、そもそもは慶長年間に津山藩に入った森忠政による出雲街道の付け替え整備が行われました。
その際に宿の整備も行われ、美作七宿の一つとして、国境の宿場として、重要な宿場まちとなり、他国にはあまり例がない東西にそれぞれ門を備えることとなったのです。
西惣門は出雲街道を警備する関所として、最も国境に近く朝夕は門番が扉を開閉して夜の通行を制限していました。
明治2年の関所廃止令により取り壊され、平成13年に復元された門は高さは6m50㎝、幅は7m88㎝です。東西の惣門間の長さは約700mと長く、宿場としての規模も大きいことが伺えます。
西惣門の奥に『四ツ塚志士顕彰碑』という碑が立っています。この碑についても少し説明します。
幕末にこの門で事件が起きています。この事件は、浪人が美咲町百々の商人『池上屋』に活動資金を求めたところから始まります。
池上屋が資金提供を断ったことからトラブルとなり、強盗として訴えられ村人に追われることとなります。そこで当時は龍野藩領となっていた土居宿を目指し逃走します。
途中で竹槍を持ち追い詰める農民を切り、惣門にたどり着きますが、すでに門が閉まっており、通行を認めない門番を切り捨てて、岡元太郎 、井原応輔、島浪間の3名がこの地で自ら果てています。残った千屋金策は、宿場内に逃れましたが旅籠屋の泉屋にて自刃して果てました。
そのため、この地『四ツ塚志士顕彰碑』が建てられたという事です。
この事件は、土佐勤皇党である田中光顕が書き残した記録を元にし広まっています。そのため浪人側が被害者としての話が広がっています。
土居宿の西惣門は駅から降りてすぐの場所にあります。土居の町並み散策と共に寄ってみては如何ですか?