
さて、この『日本文化としての家制度 』も室町時代まで時代が下がってきました。これまでは、女性も実家の氏や苗字を名乗り、相続も贈与の対象になってきましたが、それが、この戦国時代から江戸時代に、大きく変わってきだします。
特に戦国時代には、戦に明け暮れるため、身内の団結を強めるという意味もあり、庶流家は家臣として嫡流家に仕え、一族の所領相続の決定権を嫡流である主君の長男が嫡子として家督を掌握することが多くなりました。とはいえ下剋上の時代背景、家督争いが頻繁に起こるなど、一族の中でも争いが起こるようになり、武力が秀でた者が一族を支配するようになります。
さらに女性は庶流より扱いが厳しく、独立した人格とは扱われなくなり、夫に従属する存在と扱われるようになります。その上、政略結婚の手駒として戦や政治の道具として扱われ始めるのも、この時代からです。
その後、戦国時代が終わり、徳川時代になると、平和が訪れるようになります。平和になると、武力によって嫡子の座を奪われないように、長男=嫡男というルールが誕生します。
家臣であっても、その身分や役職、俸禄を貰う権利までを相続されるようになります。この頃の女性の苗字は、嫁ぎ先と実家の原則的に家の格が高い方の、家の苗字を名乗るようになるのです。ただし家の格については、役職や俸禄を基準とするところがあれば、家柄を基準とするところもあるなど、家格についての判断はそれぞれが、勝手に行っています。
そして、今の日本で伝統の家制度と言われている、家父長制度と戸籍制度が始まったのが、1898年(明治31年)からとなります。明治政府は富国強兵を行うことを目的に、徴兵制と地租改正を進めるために、戸主が家の統率者であり、長男が家の財産と家族員に対する統率権などの家督を相続するというものです。この時点で女性の『相続』や『夫婦別姓』はなくなり、『無能力者』として、夫の許可がなければ働けなかったり、縁談を強制されたり、行動の自由を束縛されたりし、女性は男性に隷属的な立場に置かれ、日常的な性差別や女性蔑視が助長される社会構造となりました。
昭和に入っても明治31年からの「嫡子による家督相続」は続きましたが、太平洋戦争での敗戦後、男女の本質的平等が規定されている日本国憲法が制定され、1948年には家督相続が廃止。相続制度も大きく変わります。
このように、前2回のものと合わせて読んで頂くと、日本文化としての家制度や女性の相続などは、時代時代によって大きく異なっており、正直、何が日本の伝統なのかもよく分かりません。
少なくとも、一部の人が、声を大きくしている「明治31年(1898年)の戸籍制度が、日本の伝統そのものだ」といった論調が、正しくないことは理解できます。
何が正しい、誤っているではなく、どの時代の制度も、その時代背景を維持していくのに最も便利?な方法に変化してきています。
私個人は、時代に合った制度なら拘りはないのですが。