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城東むかし町家 (旧梶村邸)

美作地域の名所を訪ねて

 津山城、鶴山公園の東側の地区、風情を感じる『城東町並み保存地区』内にある、旧梶村邸。切り妻平入に建物が建ち並ぶ町並み保存地区を代表する建築物となります。
 元々は、江戸時代中頃の元禄の時代に建てられたと伝わり、江戸時代も幕末一歩手前ともいえる1760年頃には山内屋と称し両替商をおこなっていました。
1767年には、札元並という町役に任ぜられ、苗字帯刀が許され、五人扶持、茂渡籐右衛門(しげとうとうえもん)と名乗って津山藩藩札の発行を行い繁栄を極めていました。
山内屋は明治から梶村を名乗り、旧梶村邸となります。




 現在の主屋は江戸時代の末期の建物となり、西側の部屋は明治時代に建てられたとの記録が残っています。また、北側の2階建ては、洋館も含め大正時代に、蔵と庭は昭和の戦前に、つくられました。
江戸時代末期から戦前の時代まで、順次建てられたり改装された建築物は、時代に応じて建築様式が異なっており、見る人を楽しませてくれます。




 NHK朝ドラ「あぐり」のロケも行われた最も古い母屋は、庇屋根の瓦は本瓦葺き、2階は桟瓦葺きで、出格子、格子戸、嵐窓があり、詳細な部位も江戸時代末期から明治初期にかけての特徴がよく表れています。

資料によると、屋敷の敷地は、広さ間口31.5メートル、奥行34メートル、1071平方メートル(約300坪)となっており、建物が多いせいでそれほど広く感じませんが、数字を見ると、街道沿いの屋敷としては、かなり広くなっています。





 城東むかし町家(旧梶村邸)は、歴史的景観に寄与しているものとして、1997年に計8棟の建築が、国の有形文化財に登録されており、茶室の露地庭と併せて作庭された池泉式庭園「旧梶村氏庭園」として国登録記念物(名勝地)として登録されています。
以下で、国の登録有形文化財のデータベースにある解説を紹介しています。




表門
主屋の西側に位置する一間棟門で、両脇に延びる一段高い屋根付きの袖塀に組み込まれた丁寧な造作になる。旧往還から一歩内側に入った位置に建ち、主屋や塀ととも町並みを形成している。なお、塀越しに見える樹木が城東の町並みに独特の風情を与えている。

座敷
敷地のほぼ中央部に、主屋の背後に接続して建つ二階建の大型の離れで、前後に一間幅の廊下が付く。屋根は入母屋造とし、背面を除く三方に庇が付く。良質の材料を用いた丁寧な仕上となる建物で、大正時代の洗練された技術や技法を知ることができる。

母屋
城東地区には、城下町津山を代表する商家の町並みが残っている。旧梶村家主屋は、間口8間半、奥行7間と大規模な町家で、居室部は3列系と推定される。江戸末期の建築と推定されるが、内部は大正時代に大改造された。全体的に質が高く風格ある建物である。

茶室
屋敷地の西にあり、中庭を望む位置に建つ入母屋造の茶室で、「千草舎」の名がある。茶道に造詣のあった当主が、昭和の初期に庭の一画に造作したもので、小規模な造りながら吟味された材料を用いた上質の茶室で、技法的にも見るべきものがある。

西倉
東蔵と並んで建つ土蔵で、外観の意匠は同様になる。東蔵に比べやや小振りであるが、棟高及び軒高を揃える一体的な造りになる。丁寧な造りになっており技術的にも見るべきものがある。他の建物とともに、大型商家の屋敷構えを知ることができる。

東蔵
敷地の背後に建つ伝統的な切妻造、桟瓦葺、大壁造の土蔵で、2棟ある蔵のうち東側にあることからその名が付く。漆喰仕上げの表面要所を海鼠壁とする外観は重厚で、軒廻りは3段に積み上げられた軒蛇腹で軒を飾る。大正期の土蔵造の技術の高さがうかがえる。

付属屋

主屋の背後に接続する便所等の便益施設で、隣家との敷地境に沿って縦長に主屋から突き出す形で一体的に造られる。簡素な構えになるが、幕末から明治にかけての町家の居住空間を知る上でも意味深い付属建物である。

洋館・裏座敷
座敷の裏手に建つドイツ壁仕上げの洋風の建物で、大正時代に家屋の改修時に建築されたもので、内部は当時流行した和洋併用の構えをしており、時代の特徴を表す遺構である。簡素な佇まいながら造作技法の質術は高く見るべきものがある。


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