美作地域で昔話を語り継いでいる『津山語りの会 いろりばた』今は新型コロナ感染症の関係もあり活動を自粛しているが、いつもであると年間でスケジュールを組み高齢者施設や幼稚園、小学校などで語り会を開く。
語りの会の題目は、美作地域に延々と伝わる昔話。
「しばらく、語りの会を開かないとしゃべりたくて、うずうずするんですよ」そう語ってくれたのは、津山語りの会の会長を務める田村さん。
「もうずっとしていないんで、忘れてしまうかも」そう明るい声で冗談を言って笑わせてくれた。
そもそもこの、『津山語りの会いろりばた』の結成は、津山市立図書館が開いた郷土出身で、民話の大家でもある立石憲利先生の語り教室から始まる。
55歳の定年を機に、社会福祉協議会などで高齢者や障碍者などに朗読ボランティアをしていた田村さん。新聞のニュースや本などを読み聞かせていた。
9年前、語り教室がある事を知り受講を希望した。今までの朗読とは話すということでは同じ。
そういったことから興味を持ち、ワクワクしながら会場に向かったという。
しかし、教室会場へ行くと集まってきたのは、朗読ボランティアでご一緒の面々。
「あらまあ」そんな感じで、意気投合し楽しく教室で学んだとのこと。
お互いに知った人たちが多かったため、自然の流れで教室終了の場で、昔話の会を作ろうと盛り上がって結成したのが『津山語りの会いろりばた』。
結成人数は8名。
全て、立石憲利先生の語り教室を受講したメンバーだ。
結成直後からボランティアで高齢者施設を中心に、語り会を開いて回るなど旺盛な活動をこなし、4年前には九州で開かれた、民話を語る全国大会にも出場した。
この頃まで順調に活動を続けるが、新規の入会がない為に徐々に会員の数が減り始めてくる。
ついには昨年は会員5名という状態になった。
会員の年齢も年々に上がってゆき、このままでは先細りが心配される。
新規会員を集めるため、みんなで集まり、どうすればいいか悩んだ。
そこでの、「もう一度語り教室を開き興味がある人を集めることにしよう」ということとなった。
津山市図書館と津山市教育委員会の共催も取り付け、予算も福武教育文化振興財団の助成を確保など東奔西走した結果、立石憲利先生を講師に迎え、全6回の講座からなる『立石おじさんの語りの学校』を開催することができたのだ。
この語りの学校、定員30名の予定だったが、いざ開催されてみると、なんと受講者が40人を超える大盛況ぶり。
若い年齢層の受講者もチラホラ見られ、思った以上の手ごたえがあった。
この開催で、新規加入者も増え会員は13名に一気に増えた。
しかし、喜んでばかりもいられない。新たな課題も見つかったのだ。
受講者の中に見えていた、若い年齢層が新規会員に誰もいないということだ。
これについて、田村さんは2つのハードルがあるのではと推測する。
ひとつは、方言への抵抗感。「普段方言を使うことの少ない若い方は方言で話していること自体が難しいことのように感じるのではないか」そして、もうひとつが、「子育てや仕事で忙しい為に思うように参加できないことからの遠慮があるのではないだろうか」
ということだ。
しかし、このようなことを気にする必要は、全くないとのこと。
方言が使いにくければ使わなくても、普段から使っている言葉で話せばいいし、忙しければ出来るときにすればいい。
出来る人がやり、出来ないときはお願いする。『津山語りの会いろりばた』は「会員同士、ゆるく繋がり続けたい」とモットーにした運営方針なのだ。
語りの活動で、大変なことについて伺うと、「活動はいつも楽しいので、大変と思うことはないですよ」と答えてくれた。
ただ少し難しいのが、民話などの昔話だとオリジナルの状態では残虐なシーンや言葉が入ることが多い。これを少しストーリーを変えるなり言葉を入れ替えるほうが良いのかどうかの判断を迫られるときだという。
出来る限り、オリジナルの美作地域に伝わる昔話を伝えたいとの思いがある。
今のところ呼ばれた学校では、多くの学校が「オリジナルのままのお話をしてください」と言ってくれるので助かっているとのこと。
幼稚園児や小学生のこども達に話すときは、地域が感じられる話を選んでいるという。
「美作地域の昔話を心に刻んで、成長して大人になっても地域を思い、他に出て行っても地域の誇りとして心の支えになってもらいたい」との思いだそうだ。
高齢者などには、季節感が感じられるような時期の花や風景が想像できるような話をする。昔を懐かしみ、楽しく、心に安らぎを感じてもらえたらとの思いからの選択だ。
今後、会員に対しても、「お互いに切磋琢磨しながらも、ゆるーく楽しく、長々と繋がっていきたい」との思いを語ってくれた。
将来についても、「仮に先々、会員数が少なくなっても、活動機会が少なくなっても民話、昔話を語り継ぐ活動は、こどもや孫の代まで残して行って欲しい。
この地域に暮らす人が、人前で語れなくても自分のこどもや孫に話して上げられる、そうなってくれるのが夢です」と最後まで弾んだ声で答えてくれた。