アンジー工房 安東秀幸さん
鏡野町で木を使って『おもちゃ』を作っている安東秀幸さん(73歳)。温かみが感じられる木を使って制作している。そんな安東さんの制作する『おもちゃ』は、大きく2系統に分類される。
まず一方は、西洋のからくり人形である『オートマタ』というおもちゃ。
日本の『からくり人形』は、機構部分にクジラの髭や砂などを使用しているのに対し、『オートマタ』は金属製ゼンマイや、ハンドルが使われている。ただ、日本にはオルゴールがなかったため、音楽に合わせて動くものは無い。それ以外には、見た目くらいしか違いはなく、機能的には、ほとんど同じものと言ってもいい。
そして、もう一つが『身体障害者や高齢者の支援』のためのおもちゃだ。こちらはオートマタとは違い、手に持って遊び、指先の運動を行うことが目的のおもちゃ。指には脳につながる神経が多く、指先の運動をすることで脳の活性化や認知症の予防、運動機能の向上などの効果が期待できるからだ。
ここで今回話を聞いた『安東秀幸』さんについて紹介したい。元々県南生まれの安東さん。お父さんの仕事の関係で、小学生の時に奥津に引っ越してき、それ以降、ずっと県北で育ってきた。大学は佐賀県の大学に行ったが、美術教員の資格を取り、地元で美術教員になる事を目指し県北に帰ってきた。しかし美術教員の採用数は少なく、なかなか教員として採用されず、講師として教職についていた。そんな中、小学校なら、募集数も比較的多く教員になりやすいとの話を聞き、通信教育で小学校の美術教員の免許を取得した。
その後、小学校教員に採用され、空が出た時に鏡野中学校に移った。
教員として務める中で、特別支援学級を受け持ち、重度の自閉症やLD(学習障害)の子どもたちを指導する中で、自ら道具を作って指導したことが、今に影響している。
子どもたちは、障害のあるなしに関わらず、動くもの、音がするもの、キラキラ光るものに強い関心を示すのだという。興味を持たせることで、子どもたちは自ら進んで手に取り学習を始めるのだ。この支援用のおもちゃを出品した2023年小黒三郎賞・創作玩具公募展では『つまんで・ならべて・落っこちて』と名付けたおもちゃがグランプリに輝くなどの評価も受けている。
そして、『オートマタ』について、出会いは2002年。当時、日本でのオートマタ第一人者であった兵庫県の西田明夫さんの作品を東粟倉の現代玩具博物館で目にしたことだった。
一目見て興味を持った安東さんは、西田さんの本を見つけて購入した。本には設計図がついていたものもあり、その設計図を頼りに手探りで作っていったのが最初だという。
その後、西田さんと会う事も出来、より高いレベルのものを制作するようになった。
本格的に制作を始めるようになったのは、2012年から。鏡野中学を退職して、それまで、やりたかったドライブしながらグルメの小旅行を楽しんでいたが、1年位過ぎた時点で、思ったより費用が掛かっている事が気になりだした。目に見えて退職金が減っていくのが分かる程だったという。
いつまでも、こんなこと出来ない。「何か、それほどお金のかからない趣味を持たないと、死ぬ前に退職金が尽きてしまう」と感じたそうだ。そして、グルメ小旅行を辞め、何がいいか考えてみた。その時、すぐ思いついたのが、オートマタの制作だったのだという。
今まで過去2回の個展を開催した。2015年には鏡野のペスタロッチ館で4日間。2023年にはこちらも鏡野は奥津温泉の美人館で約1ヶ月間開催した。
安東さんの個展は、『オートマタ』にしても『支援用おもちゃ』にしても来場した人が実際に手で触れて、使うことが出来るのが最大の特徴だ。おもちゃは見るだけだと、おもちゃの良さが分からないというのだ。
他にもNHKをはじめ、各マスコミの取材なども受けている。その際に、遠方から制作についての問い合わせがあったりもした。
今も製作依頼は受けているが、鏡野まで取りに来れる範囲の方のみ対応している。
少し前まで、実費程度で2000円くらいで制作していたが、木材や諸経費の高騰で、5000円程度に引き上げるようになった。
「支援用おもちゃなので、実費程度とは言え心苦しい」ということだが、ほぼ、実費という事もあり、木製の手作りおもちゃの価格としては、まだ、かなり割安だ。
原材料の価格や光熱費が高騰する中で、『おもちゃ』を通して、障害児支援に貢献していく。本当に素敵な事だと思います。
今後も、ずっと支援用おもちゃとオートマタの制作を続けていって欲しいと思います。