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自然から感じるアート

津山市加茂町 宇治俊巳さん

 津山市加茂町の中心から少し入った宇野地区。山間に水田が広がる、ほのぼのとした雰囲気の風景に心癒される。
その宇野で、家族で民泊を営みながら、木を使い芸術活動をしている人がいる。民泊施設の部屋を始め、あちこちに展示してあるアート作品を制作しているのが、今回取材した『宇治俊巳』さんだ。
宇治さんの作品は木を使用した現代アートで、感性とインスピレーションで湧いたイメージを、木を加工して具現化したものになっている。宇治さん曰く、自分だけだが『コンテンポラリーアート・インザ・ホレスト(森の現代芸術)』というカテゴリーになるんだろうという。





 現在72歳となる宇治さんの生まれは、奈義の山中。ポツンと一軒家のような場所で生まれ育った。当時は電気もガスもなく、ランプで灯りを確保し、薪や柴を燃料として日々を生活していたのだそうだ。
高専で機械工学を勉強し卒業、就職のために上京するが、何か違うと5年ほどで退社した。その後、武蔵野短期大学へ通信で入り美術を専攻、教員資格も取得して、美術教師となった。当初は埼玉で教員をしていたが、その後、奥さんの実家でもある加茂町へUターンで返り、55歳まで美術教員を続け退職する。




教員を辞めて、すぐに芸術活動に没頭したのかと思えば、実はそうでもないのだ。まずは、技術専門校の木工課の門戸を叩いた。家具などの職人を養成する訓練所だ。ここで、今後の芸術活動の基本となる木工技術の基本を学び、ようやく始まったのが今のスタイルの芸術創作活動だ。
元々、宇治さんは、教員時代は造形芸術ではなく具象の油絵をしていた。
しかし、自然にある姿をいくら写生しても、実際の自然を超える感動は生まれることはない、ということに気付いたのだとという。そんなことを感じる中で、芸術表現に向き合った時に見えてきたのが今のスタイルだった。




 宇治さんの抽象造形芸術の世界観について詳しく話が聞けたので紹介しようと思う。
元々、山中で木に囲まれて育った宇治さんにとって、木を使って表現することが一番自然であるのだという。
「例えば農業をしている、おじいさんの畑を見てどう思いますか?その作業している姿が美しいと思ったことはないですか?」そんな例を示してくれた。
田を耕す、草を取る、野菜が成長する、農作業をすることで風景が変わっていく。
キャンパスに色を重ねていくのと同じように、畑をキャンパスに絵を描いているのと同じじゃないの?というのである。




抽象造形は、その事前芸術の一旦として、自らが自然から感じ取ったことや、思いや祈りなどの感覚・感性をイメージしてカタチにしているものだということだそうだ。そのため、その時、その場所で作品を見ることが、作者と鑑賞者が最も共有しやすい。
どうしても、その時というのは難しいが、その場所というのは作品が移動せず、鑑賞する人が移動することで、簡単に実現できる。
「ガウディを知りたいのなら、バルセロナまで来ることだ」と言われるが、バルセロナという、その場所で『サグラダ・ファミリア』を見るからこそ、その意図や感性を感じることが出来るということと解釈しているのだという。




 前記したように具象では、実際に自分で見た自然の風景や物のカタチの美しさを越えることはできない。
絵画や造形だけが芸術ではなく、自然そのものが、その絵画や造形を超える芸術で、その時その場所だからこそ、その感性に近づける。芸術は自然、祈り、そして女性の美が根本にあるという話がある。それに対する感性表現が、抽象の世界なのだ。
現代芸術がよく分からないという人も多いが、見てすぐわかる、技法や技術で評価される芸術ではない。作者の感じたことを想像しながら自分なりに、作品から何を感じるかということを考えるのだ。




また、感性は人それぞれで異なる。芸術に対しての感性もそうだという。何を見て感動するか、そして、それをどのように表現するか。それが芸術なんだという。
こんな話を宇治さんから聞いて、現代芸術について少し考えさせられた。私自身も現代芸術があまり理解が出来ず、どちらかと言えば否定派であった。




今までは技法や技術にばかり目を捉われ、絵画の鑑賞をしていたことが原因だったのだろうと理解させられた。
一度、宇治さんの民泊、UJITEIまで出向き宇治さんの『コンテンポラリーアート・インザ・ホレスト』を鑑賞させてもらいたいものである。

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