本源寺住職 華山義道さん
先月、10月18日から10月20日まで、津山市小田中にある臨済宗の寺、本源寺で『秋の本源寺伝来書画展』が開催された。
本源寺は、本堂・庫裏・霊屋など5点の国指定有形文化財が現存する津山を代表する寺院の一つで、津山藩主であった森家の菩提寺としても有名。また、森家だけでなく松平家が入ってからも、妙法寺・泰安寺と共に津山三箇寺として、高い地位を得ている寺院だ。
その、本源寺での『秋の本源寺伝来書画展』で注目されたのが、狩野洞学を祖とする、津山藩御用絵師の狩野派の作品。本源寺には、十六羅漢図や頂相などの狩野派の6~7点が大切に所蔵されている。それらの公開だけでなく、20日には、ギャラリートークなどもあった。展示は、芸術としてだけでなく、歴史や文化としても楽しめるようになっていたという。
今回のアットストーリーでは、この狩野派の絵画を始め、本源寺に代々伝わる貴重な文化財を守り続けている、華山義道住職に話を聞いた。
住職によれば、前回、本源寺の書画が公開されたのは二十数年前だという。普段はこれら、津山藩御用絵師の狩野派の絵画は、本源寺を訪れても見ることはできないのだ。
公開が終わったばかりで、次の公開はまだ予定はされていないという。
今回、公開された狩野派の作品などは、狩野洞学を始め、絵師に住職が直接依頼して描かれているのであろうと推定される。
実は、この文化財を守るために、絵画の状態よっては、修繕に数十万から数百万かかる物もあるのだという。
このように、檀家の少ない中で文化財を維持していくのは、今後さらに難しくなっていくという。
国の重要文化財となると、大規模修繕費用の多くは国が負担し、県や市の負担分もあるため、比較的困らないが、例えば、消火器具などの設置は補助が多いものの、定期点検については、半分ほどが寺の負担となる為、費用負担は相当に厳しいという。
これが、今回の絵画のように、文化財無指定のものだと、全額寺負担となるのだ。
それでも、津山の文化財を子や孫の後世の時代に残していくことは、必要だという。
住職の想いの中では、文化財は、その地域、ひいては日本という国、そのものだとの考えからだという。
文化財が生まれた時代の技術と、その文化財が生まれた経緯、有形であれば、作る事に携わった人々の思いも、それら全てが、その文化財の中に詰まっているものだからだという。
それが、『津山らしさ』であったり『日本らしさ』そのものなのだと。
文化財を守り次世代に伝えることは、日本の地域を守り歴史を守るということ。
無形文化財は継承者がいなくなると絶えてしまう。有形文化財についても修繕技術等の継承者がいなくなれば、絶えてしまうのだ。
このような「日本固有の文化に対する向き合い方などの教育が、長い目で見れば、日本の国力の強化にもつながるのではないか」という話だ。
しかし驚くことに、本源寺に伝わるものとは異なるものの、津山藩御用絵師の狩野派の絵画の一部は、ネットオークションなどで数万円から十数万円で落札されているのだ。
これは、津山藩御用絵師の狩野派の絵画の価値が下落しているのではなく、単純に近年、オークション出品者が増えているからだ。
津山の地は空襲などがなく、旧家に狩野派の絵画が残っている例があるのだという。それが、代替わりする際などに、子供などが少しでも現金になればと、オークションに出すことがあるのだそうだ。
どうしても、津山藩御用絵師の絵画であるため、欲しがる人の多くは津山近辺の人に限られてくるため、価格も上がりにくくなっている。そのせいで頻繁に出品があると、どんどん価格が低下していくのだ。
また、ネットオークションに頻繁に出品されると、これらの絵画が津山から流出していく可能性が上がる。本来は、この絵画の所蔵している家に、云われ等と共に次世代へと繋いでいくべきなのだろうが、何とも残念ということだ。
今回の公開を通して、もう少し多くの人が訪れてくれることを期待していたのだという。広報の重要性と難しさを知ったとのこと。
文化庁などで、文化財の『保護』と同列に『活用』が叫ばれているが、いくら文化財を大切に守って伝えても、その存在や歴史や文化の価値が多くの市民に対して伝わらないと守り伝えることの意味は半減するのだ。
文化財を活用するための財政的な措置を含め支援してもらうことで、もっと多くの人に関心を持ってもらい、地域の歴史と文化そのものである『文化財』を知って、理解してもらいたいのだという。
実は、私自身今回の『秋の本源寺伝来書画展』を観覧できていない。
今回お話を聞いて、いつあるか分からない次回は必ず、津山の狩野派の作品を、ゆっくりと鑑賞し、津山藩御用の狩野派の特徴を見出したいと思います。
国そのものとも言える文化財を次世代に伝える本源寺に対して、敬服の念が堪えません。