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本場井波で修行を重ねた美作の彫刻師

山根利之さん

津山市草加部で社寺彫刻、仏像彫刻、彫塑など「山根木彫刻」を営む山根利之さんが、今の職業に就くきっかけになったのは中学生の頃、NHKテレビ「新日本紀行」で「木彫刻のまち井波」を紹介していたのを見て、木彫や欄間の美しさに感動したからだという。



井波での修行時代

鳥取県智頭町生まれの山根さんは18歳から十数年にわたって富山県南砺市井波で修行した。
同町にある古刹・真宗大谷派井波別院瑞泉寺各所に格調高く風格に満ちた彫刻の数々は井波彫刻職人の手により飾られ国指定重要文化財に指定されている。
井波彫刻の技をここ美作に持ち帰り黙々と継承している山根さんは、美作の彫刻師と言っても過言ではない。

「井波では欄間を習いました、修行は厳しく毎晩の10時まで仕事をしていました」。
冠婚葬祭を自宅でしていた頃、欄間は和室には欠かせないものだった。
近年家が洋風建築になったり、冠婚葬祭を自宅以外でやるようになった流れで欄間の注文が少なくなった。



社寺建築を主に

平成元年に津山に帰って来て、山根さんは社寺建築に出合いかかわることがが多くなっていった。

バブルの時代には寺の檀家さん、神社の氏子さんも潤っていたし、250年ほどたった社寺などの建て替えの時代で社寺建築も需要があったが、平成15~20年には徐々に減って来くるという受難の時代も経験した。

今、岡山市東区の築地山常楽寺の客殿新築工事にかかわっている。
しなやかな曲線を描く唐破風(からはふ)を原寸図に合わせて加工、制作中だ。
細かな作業は宮大工さんのできない部分をていねいに作っているという。
社寺で梁や桁の上に置かれる、蛙が股を広げたような蟇股(かえるまた)も制作しており、黙々と鑿(のみ)を使い制作する。
口数の少ない山根さんだが作品が技を主張している。



工芸愛好会では審査員も

帰津してまもなく、富山でサンプルとして作っていた仏像や観音様、欄間、額などを津山工芸愛好会の工芸展に出品したのが同展のデビューとなり、今では審査員も務める。

今年は「童不動明王、鬼子母神」を出展した。
小さな不動明王は小さな童の姿かたちだが迫ってくるものがあり、鬼子母神はしっかりと多産の象徴のザクロを持っている。二つとも制作時間は一体につき2週間だという。
「仕事の合間に作っています」というが緻密で力強い作品に驚く。




ギャラリーも併設した


最近、作業場のそばにギャラリーを作った。
百点近く並べられたご自身の作品が一つ一つ個性を主張している。
中には女性のデッサンもあり「デッサンをしないと伝統的なものはできません。岡山まで習いに行っていました」と制作に費やした情熱と時間は作品に表れている。
35年前の作品だというクスノキを使って浮御堂を彫った欄間の額は、山根さんの基本になっていることを見せつけられるようだ。
ひときわ目を引くのは不動明王の額。燃えている不動明王の炎は自然の木目。圧巻だ。




棚の下の方でひっそりと並ぶのは、山根さんの唯一の楽しみの骨董品のコレクション「有名なものや高価なものはありませんが骨董市などに行くのが楽しみです、京都には大工さんと一緒に行ったりします。新しく作ったものにない古いものが好きその中から自分にとりいれていくのがいい」とほほえんだ「昔から社交性はないと思っていてしゃべらんのはしゃべらん。
話して自分の主張はようせん。
仕事の中で言葉に出さず主張はしている」山根さんはまじめで話しているうちも設計の図面が気になってしょうがないという根っからの仕事人、業師の顔をしていた。




山根さんのギャラリーは一般に開放しており、一度訪ねてみてはいかが。


山根木彫刻は津山市草加部737―9
電話(0868)29―1869
(取材ライティング・武本明波)

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