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曜変天目に魅せられて

陶芸作家 鈴木禎三さんに聞く

曜変天目を知っていますか?

以前、テレビ番組の「なんでも鑑定団」で誤鑑定があったのでは?と話題になったあの曜変天目だ。
「曜変天目」は、中国、福建省で宋の時代に焼かれた天目茶碗で、完全な形のものは、この世に3つしか存在していなく、全てが日本国内にある。

深い青や藍の色に曜が散らばり、宇宙に星々が瞬いているかのように天目茶碗の中に大宇宙が表現されていると言われる。

室町時代以降、足利、織田、豊臣、徳川など、権力者が変わるたび、それを求め、権力を象徴する宝物として認識されてきた歴史がある。
何故、宋の時代に福建省で焼かれたものが日本にしか残っていないのか? また、曜変天目はどのように作られたのか? 意図して作られたのか? 偶然できたのか? 詳しいことは何も分かっていない。

まさに神秘のベールに包まれた茶碗なのだ。



陶器と磁器の違い

今回お話を聞いた鈴木さんの話に入る前に、基本的なことを知ってほしい。
まずは、陶器と磁器の違い。
陶器は主な材料が土となる。これに対し、磁器は主な原料が砕いた石となる。
このため、焼き上げる温度も土よりも磁器の方が高くなる。
見ての違いはツルっとした光沢があり清潔感を感じるのが磁器、これに対し、気泡が入りゴテッとした感じの温かみを感じるのが陶器だ。
もっと分かりやすいのが、指ではじくと「チン」と音がするのが磁器で、鈍い音がするのが陶器だと思えばいい。
これまでの説明でお分かりだと思うが、今回の曜変天目は陶器になる。
その曜変天目に魅せられ、目標として曜変天目に少しでも近づく作品作りを目指し、日々創作活動を続けられている「鈴木禎三」さんにお話を聞きに行った。



取材してみて

取材のため待ち合わせしたのは、ポート アート&デザイン 津山。
鈴木さんが記者発表や取材などをしている場所だ。
話を始めると、まず最初に飛び出した言葉は、「私の作品は曜変天目の再現ではありません。」

これまでは、新聞などの記事では『曜変天目の再現に挑む』など書かれているのにだ。
実は、これまでも取材の際に、「曜変天目の再現は不可能だ」と言い続けてきたというのだ。
しかし、さらりと流され、真意が伝わらないまま、記事になった事がある。
「曜変天目は凄く素晴らしいしもので、たどり着けるかどうかは別にして、目標として考えています。しかし目標とするのも、おこがましいくらいのものなんです」
鈴木さんが創作しているものは、鈴木オリジナル「曜変の天目茶碗」なのだ。
ややこしく、少しわかりにくい話になるが、曜変天目はこの世に3点しかない。

『曜変天目』は南宋の時代中国の福建省で造られ、それが何らかの形で、はるばる日本へと渡ってきている。その間様々な人の手に渡ったかもしれない。
しかし、どの時代にどのように日本に渡ってきたかも明らかではない。
「曜変天目は、歴史や時代を生き抜いてきているからこそ曜変天目の凄さがあるんです」
言わんとすることは、福建省と日本では気候が違う。
では福建省で創作すれば同じものが作れるのか? これも違う。
気候だけではない、他の要素もある。
長い時間が経てば、当然酸化もするし風化もする。空気に触れていれば当然のことだ。
誰かが手にすれば、その人の手の油が器につく。
手の油が付いた部分の風化は当然手の油の付いていない場所とは異なる。
そうして、様々な偶然が重なり、時代を経て国宝になっている3点の曜変天目は出来上がっている。
さらに言えば、思いという、要素も入ってくるはずだ。
作った人の思い。所有した人の思い。売買の仲介した人の思い。
そして、それらの思いを受け今現在も成長を続けている。それが『曜変天目』だという。




アンティーク加工、日本の言葉では「時代をかける」というが、実際に似せることができても、同じには絶対ならない。
ぱっと見たときに同じように見えるだけだ。
鈴木さんの言わんとするところは、そこになるのだ。
ファンの方々から、「人間国宝を目指して頑張ってください」などと言われるという。
認定して頂けたら嬉しいし、頂けるのもであれば何でも頂きたいと思う。
だとしても私は「曜変天目」の作家ではないんです。
では、鈴木さんの創作した作品はどういった立ち位置なのかを尋ねたところ、先ほどの鈴木さんが作った「曜変の天目茶碗」となるとのこと。



今回の取材で、特別に鈴木さんが作った「曜変の天目茶碗」を実際に、お持ちいただき見せてもらった。
「どう思います?」との鈴木さんに問いかけられた。
思ったことを、そのまま伝えると「おもしろいですね。そんな感じに見えるんですか」
との返事が返ってきた。
続けて「まさかそんな事をいわれるとは、人それぞれ感性が違うので、色々な感じ方があるのが当たり前ですから」
敢えて私が見た感想は、ここには書かないようにする。
私の感じ方が鈴木さんの作品を見た際の先入観になり皆さんの感性のお邪魔にならないように。



縄文土器

実は、今回の取材では「曜変の天目茶碗」や「曜変天目」以外にも、陶器全般に話が飛んだ。
中でも、縄文や弥生時代の土器については、かなりの時間になった。
「火焔型土器の造形ってどう思います?」
縄文土器の代表的な土器で、小口の上まで炎のような装飾がついている焼き物の事だ。
「あれは必ず意味があって作っているはずなんですよ。
宗教的な意味であったり、祭事的な意味であったり、何かの時に使うものなんですよ。普段じゃあんな形のもの使わないですよね」
なぜあんな形になったの?何が必要だったの? そう考えてみると縄文の造形には、今にない神秘的なものを感じるという。
それが、造形美につながっていると。




鈴木さんは「曜変天目」も同じなのではないかと、何かの目的があって作られたのだろう。
そう想像しているそうだ。
宗教的なものか、政治的なものか、はたまた全く別なものか。
陶芸に限らず、全ての特別なものに特別な何かがある。
それが、創造される全てのものに共通しているのだそうだ。


ところで、なぜ津山に?

取材時間も残り少なくなってそんな質問を遅まきながら、投げかけた。
「それが、たいした意味がないんです」
備前焼の窯元から独立する際に、良い場所がないかなと探していたのだが、中々見つからない。
そうしているうちに、北に北にと来てしまい、最終的に津山で落ち着いたのだと。
しかし、何かの縁で津山で落ち着いたので、津山の皆さんに作品を見ていただき、これを通じて色々な物を、心豊かに感じてもらえるキッカケになればと思っているという。


最後に

「500年か1000年か先に自分が作った『曜変の天目茶碗』が色々な物や者に育まれて国宝になってくれると、本当に嬉しいですね」そう言って、笑顔を見せてくれた。

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