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地域の誇りを守って 矢筈城跡保存会児玉收司さん

 津山市の加茂町山下にある矢筈城。
中世から戦国時代にかけての難攻不落の山城として、全国の城マニアの間に、その名を轟かせる名城だ。
過去、毛利、尼子、宇喜田、羽柴などの名将を相手に、幾多の激戦を繰り広げ、一度も落城した経験を持たない、矢筈城址の整備管理を行い守り続けているのが『矢筈城跡保存会』なのだ。
会長の児玉收司さんに話を聞いた。声が非常に若く発声がいい。
地元の学校で長年教師をしており、地元の人の顔が一番よくわかるとの理由で選ばれた。
80歳を回ってまだまだ元気だ。




 標高750メートル余り比高400メートル以上、切り立った岩肌、数々の堀切や石垣が積まれている切岸。
千磐神社の登城口から、主郭の中心になる曲輪まで約2400メートルもの距離が有り、主郭部まで登城するだけでも、1時間半から2時間かかり、ゼイゼイと息は切れ、体力は奪われる。
さらに、若宮神社から登る河井ルートは距離こそ700メートルと短めだが、勾配はかなりのもの。
そこを、風倒木や虫食いで枯れた危険な木を伐り倒し、草刈りや豪雨で擬木の階段から流れた土を集めて補充するなどの作業をしながら山頂を目指す。
整備作業は、毎回80人以上の人が集まって行い、中には、わざわざ県南から、この整備事業に参加する山城マニアの猛者もいるそうだ。
難攻不落の山城は、整備するにも一筋縄ではいかない。
毎回、知和ルートと河井ルートの道作りをする組と、麓の居館のあった内構の草刈などをする組とで3組に分かれて作業を行う。
会長の児玉さんら、年齢が高いグループは、平地の内構担当だ。
内構も平地こそあれ、竹や笹竹などが生えており、決して楽な作業ではない。
作業は朝も早い7時30分に知和神社と若宮神社に集まり、安全祈願の祈祷を行い8時頃から始まり、昼食を挟んで15時近くまで行うという。




 矢筈城跡保存会の主な活動は、それだけではない。
講演会、ガイド、パンフレットなどの作成と多岐に渡る。
そんな活動を、会員数320人で行っている。
会員の多くは、地元の加茂と阿波の人が中心だが、県南の人も少なからずおり、県外の人でも80人近くが入会している。登山好きな方と城好きの方とに分かれるそうだ。
ここ数年で会員が30人以上減ってきている。「活動に参加できんでも、地域の誇りを守るのに協力してもらえるんであれば、年会費を頂けるでもありがたいですけえ。全国、どこからでも入会を歓迎したい思うとります」と児玉さんはいう。
ちなみに年会費は1000円だそうだ。年に数回会報とイベント案内が送られてくる。




 最近100周年を迎え、保存活動などを紹介した記念誌を発行した、矢筈城跡保存会は、元々は大正7年か8年頃に『矢筈城保勝会』として発足していたのだそうだ。
当時から故郷の誇りとして、小学校の遠足では必ず登城するという。
加茂町、阿波村で子供時代を過ごした人は、必ず一度は登ったことがある山だそうだ。
その後、地元の青年を中心に活動が引き継がれていたが、1970年(昭和45年)社会教育(生涯学習)の充実が言われるようになり、矢筈城を旧加茂町の指定史跡とし、保存会も『矢筈城址保存会』として、当時の加茂町長が会長となり事務方を旧役員で行う体制が組まれ衣替えが行われた。
これにより、城址整備の予算のバックアップができることとなり、樹脂製の擬木を使った階段や要所に設置してある案内板や説明板の多くは、この『矢筈城址保存会』の時に行われたのだそうだ。




 その後の平成の大合併に伴い、加茂町の消滅に伴い、現在の『矢筈城跡保存会』と再び名称変更を行い体制変更を行う。
活動としては、岡山県史跡への指定への活動を行いながら、津山市観光協会と協力して登山イベントなどを行うようになった。
児玉さんの尽力も有り、さっそく再発足の翌年、2006年3月17日付で『矢筈城跡(高山城跡)附伝草苅景継墓所』として岡山県指定史跡に認定された。
当時を振り返って「毎晩、地権者に同意を取りに家庭訪問したり、学術上の価値を証明した資料の整理をしたり、やったことないことばっかりじゃけえ大変じゃった」という。
また、同年より毎年『矢筈山登山会』と銘打って津山市観光協会の支援で秋に、保存会がガイドを行いながらの登城を行っている。
これについても、苦労話はあるのだ。
2013年は、帰りにJRのイベント列車『スローライフ列車』を利用するといった内容で、登山会を協賛実施で行ったが、残念ながら下山中に高齢者が骨折するといった事故が起きてしまい、その翌年の開催で協賛実施が終わることとなった。
現在でも、観光協会支援の下、『矢筈城跡保存会』の行事として、多くの参加者が集まり登山会が行われている。




 今の最大の課題は、世代交代だそうだ。
「もう、山に登るんが体力的にしんどくなってきた」という。
今、役員や組織が高齢化してきており、このままいけば活動が絶えてしまう可能性もなくはない。
後世までずっと活動を守っていくためにも、今、組織の若返りが欲しいとのこと。

 最後になるが、矢筈城跡保存会から読者の皆さんにメッセージをもらった。
河井口からのルートを利用しての登城は、若宮神社から少し登ったあたりで、登山道が崩れている。
「地権者の協力の元、う回路を作ってはいるが、可能な限り知和ルートから登り、知和ルートで降りて欲しい。できるだけ安全に矢筈山を楽しんでください」とのことだ。

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