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津山は一宮で会いましょう

寺山修司館 小谷啓子さん

 美作一宮となる中山神社にお詣りする参道を進む。すると存在感あるケヤキの古木が見えてくる。これは岡山県の名木百選に指定されている「祝木(いぼぎ)のケヤキ」と名付けられているケヤキだ。
その向かい側にあるのが、津山・寺山修司館だ。
今回は、昨年の12月10日にオープンした『津山・寺山修司館』を主宰している小谷さんに話を聞くことができた。





 オーブンから一ヶ月と少々、今はまだ、コロナ禍中だという事もあり、訪れる人もまだ疎らだという。
4年前に小谷さんが、「津山寺山修司倶楽部」を立ち上げ、関連資料の展示活動に取り組んできた中で、3年前の城東町での展示では10日間で300人以上が詰めかけた実績がある。訪問者は京阪神地区が中心だったそうだが、寺山修司ファンからの根強い支持が健在であることがうかがえる。
とはいえ、昨今の若年層を中心に寺山修司の世界を知らない人も増えており、そのような人達に向けて、寺山ワールドを知って欲しいとの思いが強いとのこと。


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 そもそも、小谷さんと寺山修司との繋がりは、約40年前の小谷さんが女子大生時代に遡る。ひょんなことから、寺山修司の作品に接した小谷さんは、その文に共感し、作品を購入しては読み漁る様になった。そんな状態が続くなか、徐々に寺山ワールドに、どっぷりハマっていき、どうしても連絡を取りたくなり、ファンレターを出版社に送るといった行動に出た。
しばらく返事がなく、あきらめかけた時に、寺山修司本人からの返事が来た。
そこには、次回からのファンレターの送付先も記載してあり、そこから文通は始まった。





その後、大学を卒業するまでの3年半文通が続き、大学卒業する時に両親に黙って上京することを決めたという。
卒業後、両親の反対を押し切って上京したのにもかかわらず、一歩が踏み出せず、寺山事務所の扉をたたけず、半年間は文通のみで時間が過ぎていった。
しかし、仕事が終わってや休日の時などに事務所の一階にある、寺山のお母さんが行っていた喫茶店には毎日のように通っていたのだそうだ。喫茶店は、役が欲しい俳優さんなどが自身のアピールのために詰めかけ、いつも人で溢れていたという。
半年くらいは、そのような日々が続き、津山にいた時と全く同じ文通のみの接点だった。
そんな中で、俳優さんと話しているうちに、寺山との話をしたところ早く事務所に行って挨拶をするべきだと強く意見をされ、勇気を振り絞って事務所に向かうことになった。





意を決して、三階に上がり事務所の扉を開け「津山の小谷です」と挨拶をしたところ、「えっ? あなたが。もっと早く言ってくれれば良かったのに」と、続けざまに「すぐに先生をお呼びするので、座ってまってて」と言われ、すぐに寺山修司に伝えに行ってくれた。それほど時間がかからないうちに、寺山本人が現れ「小谷さん、よく来てくれたね」と言葉をもらった。
その日から小谷さんが通うのは、一階の喫茶店ではなく三階の事務所となり、数か月後には寺山が主宰する劇団『天井桟敷』に入り込むことに成功する。
それからは、仕事終わりや休日には劇団活動に熱中することとなった。
そんな時期が3年程続いたが、その間、正月や連休も含めて一切実家のある津山に帰らず、連絡もろくにつかない状況に両親が堪忍袋の尾を切らし、強制的に連れて帰るため上京してきた。
すったもんだの末に強制送還されることとなり、最後は正式に挨拶もできないままに津山へと引き戻され、結婚することとなった。
そして、その後一年程で寺山修司は亡くなることとなった。そういった経緯から小谷さんと両親の間は、決定的なほど不仲な状況が続いてきた。




 実は、あれだけ仲が悪かった母親が亡くなる前に「家を改装して記念館として皆にみてもらったら?」と言ってくれた一言が、今回『津山寺山修司館』開館する最大の決め手になったそうだ。
開館すると決めてからは、とにかく急いだ。寺山修司の誕生日に間に合わせたい。昨年は生誕から、ちょうど85年とキリがいい。とにかく急ピッチでの作業だ。著作物などの公開も多くなるため、各種権利関係者との調整も大変だったという。幸いにも小谷さんと寺山修司の子弟のような関係を知る『テラヤマワールド』や『三沢市・寺山修司記念館』などが支援してくれたことで、諸問題も解決でき、やっとのことで誕生日の12月10日のオープンに間に合わすことができた。





また同時に『三沢市・寺山修司記念館』からも資料の提供などの支援も受けられるように了承を取り付けた。
公開は月曜日を休館日とし、10時から17時までの間行っている。入場無料での公開をしているが、著作権支払いなどの経費が掛かる為、カンパ箱を設置し募金をお願いしている。
趣旨に賛同してくれる方で、気持ちがある方は、気持ちだけでも募金もお願いしたいとのことだ。
コロナが収束し『津山・寺山修司館』が津山の新名所になることを願って記事を締めくくる。

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