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鏡野町の地域価値向上を

かがみの近代美術館 館長 辻本高広さん

 奈良県から単身で半移住して、鏡野町の古民家を改装し、夭折の画家を中心とした作品を展示している『かがみの近代美術館』を2018年から運営している辻本さん。
定年で会社を退職するに当たり、今まで集めたコレクションを公開するために美術館を開きたいという夢の形がこの美術館だ。




 まず、最初に質問したのは、なぜ奈良から、わざわざ鏡野町まで来て始めたのかということ。それに対して、実に意外な回答があった。「岡山県である必要は全くなかったんですよ。本当は長野でオープンを目指して準備に入るところだったんです」という答えだった。
「じゃあどうして?」と疑問が湧いてくる。実は辻本さんは、今でも奈良県バドミントン実業団連盟の会長をしているのだ。そういった理由から、どうしても奈良から完全に離れることができなくなったという。そこで長野を諦め比較的近くの丹波地方を中心とした兵庫県で、古い洋館物件を探し始めたのだそうだ。
しかし思った感じの物件がなく、範囲を広げたり物件そのものに妥協をしたりしながら、たどり着いたのが鏡野だったそうだ。
美術館の展示内容は洋画が中心。他に日本画や陶器なども多少ある。辻本さんが20代の時に美術品に興味を持ち、今までの間に少しずつ集めていた自身のコレクションを展示している。




 美術品に興味を持ち始めた頃は、著名画家の作品の小さなデッサンなど、頑張れば手が届くものを買い求めていたとのこと。
美術館に展示してある作家の作品が、手元にある事が嬉しかったと当時を振り返る。
しかし、画廊に頼んで交換会などで取り寄せてもらうと、驚くほどの価格になる。集めているうちに、美術館に行けば大作や傑作を見る事ができるのだから、小さなデッサンなどに高いお金を積み買い求めることが、勿体ないのではないかと感じるようになりだしたそうだ。
もっと大きな絵が欲しいと思いはじめたころに、ある作家の作品に出会いとても感銘を受けたのが夭折の画家コレクションのはじまりだという。夭折の画家とは、若くして亡くなった画家のことだ。
病気の為、不慮の事故で、短くその生涯を終えた才能ある若い画家が、もし生きていれば、どう成長していたのだろうと想像すると感慨深い。それ以来、夭折の画家のコレクションに傾倒していった。




 かがみの近代美術館は和風古民家だが、元々長野でオープン準備をしていたのは洋館だったそうだ。それが、今現在美術館に改装している古民家の話を聞いて、なぜか興味を持ち実物を見て即決した。また山奥だったのも、気に入った要因の一つだ。
夭折の画家を常設している美術館は全国でも長野に一軒だけ。それなりの来館があり、西日本で開館すれば、希少性から好きな人が西日本全域から集まる可能性がある。「客が来すぎると、ゆったりとした空間を提供できなくなって困る」そう思ったからだそうだ。
開館したが、オープンしてみると思っていた以上に客が来ない。色々と分析すると、179号線の交通量が、院庄あたりは工業団地の関係で若干増えているものの、少し北に入るだけでかなり減っているという事に気付いた。




高速道の整備が影響してか、国道を通らない車が多いのではないかとの仮説を立て、鏡野に魅力をつけ地域の価値を高める必要があると思い至ったとのこと。
魅力作りの一環として、OKUTSU芸術祭を企画し、地域の魅力を上げると同時に、アピールすることを考えた。しかしOKUTSU芸術祭だけでは、一次的な一過性イベントとしての魅力でしかない。「イベントだから行ってみよう!」だけではない状態を作りたいとのこと。
今後も行政などを巻き込んで、イベントがない時やシーズン以外でも、奥津へ、上斎原へ行きたいと思えるような環境を整備する必要があるという。




 また、不定期で地元で活動をしている若手芸術家の個展を開催している。個展開催の費用は無料と地元の若手芸術家を支援する形となっている。これは個人主宰でも美術館としての地域に対する責務と考えているのだそうだ。そのため、これからもこのような支援を続けていくとのこと。
 美術館として辻本さん個人として、様々な活動も行っているが、原点は夭折の画家の作品の良さを知り、好きになってくれる人が増えて欲しいということ。美術館の運営と地域価値の向上、そして地元若手芸術家の育成と、多方に気を回すことが必要な中での活躍に頭が下がる思いすらする。

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