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世界で大旋風を巻き起こす新進芸術家は60代

勝央町 高木巧治さん

 勝央町勝間田に凄い人がいるのを、ご存じだろうか?
絵画の世界で国内TOP100に入るコレクターの高木巧治さんだ。
これまで地元の旧作東町立美術館(現美作市作東美術館)を皮切りに、『魅惑のサラリーマンコレクター 高木巧治25年の軌跡』と銘打った勝央文学館、そして国立新美術館などでもコレクション展が開催されるなど、名実ともに国内ではTOPコレクターとして評価されている。収集を始めたきっかけが面白い。路上のキャッチセールスにあって購入したのが始まりだという。
それだけでなく、東京は銀座で画商としても活動をしていたとのことだ。
しかし、美術業界は稀に見る閉鎖的な社会なのだ。余程の信用があってもコネがないと入れない世界。そこに岡山の県北からどのようにして、画商としての足がかりを得たのか、業界を知っている人から見ると不思議に思う。それについても高木さんは、かなり持っていたんです。





実はコレクターとして積極的に買い集めていた時に、画商に入ったばかりの駆け出しのかわいがっていた担当者が、国内屈指の会社の東京支社長として大出世をしており、連絡してきてくれたというのだ。
交換会はプロしか入れない、またプロ限定のオークションもある。収集をするにしても画商として活動できる意義は大きいのだ。





 その有名収集家の高木さんがアーティストとしても活動を開始しているというのだ。
元々画家になりたいという、若き頃の夢があったそうだが、当時の経済状況や将来性などの不安から、両親を始め家族が反対し、絵の勉強が出来なかったという話をしてくれた。
年を重ね、色々考える事があり原点の画家の夢に戻ろうと、アーティストとしての活動を志したとのこと。ジャンルとしては版画となり、具体的には銅版画のエッチングと呼ばれる技術を使った作品を創作している。
 驚くことに、すでに『パリ国際サロン』『欧美国際公募 スペイン美術賞展』『日本・フランス現代美術世界展』と3つの国際コンクールに出品し、その全てで入選を果たしているのだ。




そのうちの一つ、パリ国際サロンは新人芸術家の登竜門として名高いコンクールと評価されている。そこでの入選は、世界的に見ても、プロの芸術家として実力を認められたということであり、これをもって作家としてスタートラインに立ったと言える。
その才能あふれる高木さんが、創作活動を始めたのは、僅か2年前だという。
取り組むに当たり、油絵などは作家も多く注目されにくいため埋もれやすいので止めとこうなど、どんな活動をするかを戦略的に考えたうえで、銅版画という素材に決めたのだそうだ。この辺りの戦術を決めるセンスは、有名コレクターとしての実績がものを言っているのだろう。





まず、60代という年齢を考えて、技法などについて独学で勉強するより、師事する方が賢明だとの考えから、教えてくれる人を探したという。まずは県北から探し、続いて鳥取を探していたところ、作家がいるとのことで会いに行くと、既に亡くなっていた。それでも諦めず、県南を探していたところ、教室を開いていた今の先生に巡り会うことができたのだそうだ。





銅版画には、全てで11の技法があり、一つの作品を一種の技法で彫り上げる。その中で、現在までに3通りの技法について習得し、その中で、風合いが好きだという事もあり、エッチングという技法を使った作品に取り組んでいる。今回入選した作品も全てエッチングだという。このようなコンクールは審査などがある為、展示会を行う1年程度前に出品する必要がある。高木さんの場合でいうなら、なんと始めて1年の時に制作した作品が、この度、入選しているのだ。これが意味することは、芸術家を目指そうとしていた時点で、すでに芸術家としての能力は高いレベルにあり、それを表現する技術的な問題のみだったということになる。そのような力を身に着けたのはコレクターとして画商として、今まで数百万点の絵画を見てきたキャリアが、創作活動に如何なく発揮されていることは容易に想像できる。





そもそも、国内の展示会に出品せず、海外や国際展から出品を始めたのもチョットした理由がある。昨年から新型コロナウイルスがまん延したため、ほとんどの展覧会が中止になったというのだ。
どうしようか悩んだ挙句、教室の先生に相談した。そこで、話になったのが海外も含めて開催している所を探すといったものだ。
というのも、教室の先生自身も過去に海外の展覧会に出品した経験があったからだそうだ。そこで募集しているコンクールを探し、そこの過去の受賞作品を見て、自分が表現しようとしているものと自分の技術を考慮し「これならいける!」という自信を得たため、最難関にも恐れることなく応募したと。





意図的に海外のコンクールを優先したわけでないが、結果的にそのような戦略となりかえって良かったのかも知れないと考えるようにしているという。
まだ手がけた作品数も少ないため、今は手元に作品が無いのだそうだ。出品しているものも返ってくると既に売約となっており今のところ順調そうだ。
そしてこの先も銀座での個展も計画中だということ。
このまま順調に評価され勝間田在住の世界的芸術家となって欲しいものである。

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