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奥津の雄大な自然を感じながら

木版画家 坂手江美さん

 奥津という地。岡山県北に縁のある、有名な版画家、棟方志功のゆかりでもある場所だ。
今回は、その奥津で木版画の創作をしている『坂手江美』さんを紹介する。結婚前までは『星江美』さんの名前で活動していた。
 ここ数年は、子育ての為活動を縮小していたが、第3回OKUTSU芸術祭に出品するのを機に、少しずつ活動を拡大する予定だという。
そもそも坂手さんは東京生まれの東京育ちで、共立女子大学 文芸学部を卒業するまでは、ずっと東京にいたという。




そんな坂手さんが奥津に来たのは『緑のふるさと協力隊』として当時の奥津町に赴任してきたのが最初だった。
「緑のふるさと協力隊」とは、NPO地球緑化センターが主導する、過疎化・少子化に悩む地方と、農山村での活動や暮らしに関心をもつ若者をつなげるプログラムだ。
その時は、緑の協力隊としての活動をし、いったん終了と共に東京に帰ったということだ。
その後、岩手でも協力隊の活動を行ったのだそうだが、それが終わって飛騨高山にいた時に木工の技術を教わることとなった。ここで初めて木版画の木との接点が出てくるわけだが、実はそこで習得したのは、家具などの木工加工で木版画とはさほど近くない。木という事だけが共通点だ。





 それから体調を崩し、飛騨の木工所を退職してほどなく奥津の木工所から連絡があり、手伝って欲しいと誘いを受けたことで決心したとのこと。
紆余曲折しながら奥津の地に戻ってきたのだった。
それについて「なぜ戻ろうと決心したのか」を聞いてみたら、「結局は場所でなく、人だったんでしょうね。巡り合わせだけではなく、奥津の人が一番しっくりくるというか、すんなりと受け入れてくれた感じですね。その結果、奥津で結婚して定住したのかもしれません」ということだった。




 その後、しばらくは木工所の仕事を手伝っていたが、木工所が落ち着いた時点で、元々やりたかった作家活動をすると決め、『雨玉舎』という屋号で事業を立ち上げた。
立ち上げてすぐに、大学時代から知っていたギャラリーにお願いして東京で個展を開いた。昔からの仲間や友人に、作家として活動を始めるという決意表明の意味を込めての開催だったという。
 




 坂手さんの作品の特徴として、摺り上げて額に入れて飾ったものだけではなく、作品をポチ袋やうちわ、そして文具に刷ったり、ラベルデザインとしても使われている。
今までの木版画とは一味違った新しい感覚が受けている。芸術としての版画と言うより、一般遣いの日用雑貨として、いつも身近にある木版画という感じである。
現在では、北は岩手から、南は屋久島まで、全国20箇所以上のショップやギャラリーに置いてもらえるまでになった。ちなみに美作地域では、城東町の和蘭堂の向かいにある染色ギャラリー『うき草や』に置いてある。
坂手さんの作品で、美作地域の人に馴染み深いのが、7年前から4年続けて、鏡野町のカレンダーに採用された木版画ではないのだろうか。




 そして今回、お子さんが保育所に上がったタイミングで、冒頭にも触れた第3回OKUTSU芸術祭への出品に声がかかった。
9月11日(土)~11月21日(日)まで、REBORN版画プロジェクトとして、奥津、津山に縁が深い棟方志功にあやかり、地元の版画家を集めて、棟方の作品を常設展示している『津山M&Y記念館』で展示会を行うという企画だ。
今回の作家として一線への復帰について、「以前と違い、子供が生まれて子供と同じ目線で物を見るようになったので、これからの作品は若干変わってくるかもしれません」ということだ。これからは、新しい坂手さんの作風に会えるかもしれない。
また、一線への復帰とはいっても、「独身時代の様に版画だけに時間を割くことは当然できませんけど」ということだが、期待は膨らむ。
今では、津山アルネでカルチャー講師も務めており、ますます活躍の場が広がって行っている。
最後に奥津で気に入っているところを聞いてみたが、即答で「温泉です」と返ってきた。
「今は中々入る機会や時間がないですが、独身時代は毎日入っていました」とのこと。
棟方志功が奥津荘に長逗留していたことは有名だが、私が思うに、奥津の湯は木版画作家を引き付ける何かがあるのかもしれない。

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