郷土玩具収集家 杉元耕司さん
以前、アットタウンで土人形の紹介コーナーに寄稿して頂いていた杉本耕司さん。
最近では梶村邸の郷土玩具企画展の玩具の貸出しをしている。アットタウンでも、毎回案内記事を掲載している。今回はその杉本さんに、人形展について話を聞いた。
今まで、倉吉、庄原、岡山、倉敷、勝山、そして津山と、岡山近県で展示活動を行っている。
もともと新聞に掲載されるなど、コレクターとして、岡山県下だけでなく、国内で広く名を轟かせていた。郷土玩具収集家として有名な、日本共産党の不破元委員長とも交流がある。
そんな杉元さんが、展示活動を始めたのは十五、六年前。アルネにある天満屋画廊で行った。当時は、コレクションを展示して人に見せる気は、全くなかったという。
それが地元の婦人の要望で、杉元さん宅で歌舞伎人形を披露したところ、そのかわいらしさに一目惚れし、「これは一般に公開したほうがいい」と熱心に説得されたのだそうだ。
それでも、公開するには搬入作業、展示作業、搬出作業と、コレクションを傷めるリスクを伴うため、断ったとのこと。
それでも、展示して欲しいとの依頼が続き、最後には「全展示作品に保険を掛けるのでお願いしたい」との申し出を受けたそうだ。流石に尻込みしていた杉元さんも、それだけの熱意に感じ入り、これを受けて展示に協力する決意をした。ただし、搬入から搬出までの一切を、杉本さん夫婦が行うことを条件として。
この方針は続いており、今も杉元さん夫婦以外がコレクションにふれないことを条件に展示会に貸出している。
杉元さんが、他人にコレクションに触らせないことに拘るには理由がある。ひとつは、郷土玩具というものは、元々商業的に作られていたものではない。
子供のあそび道具として、当時は高級な人形などが買えない一般家庭が、子供の遊び道具として、自家用に作ったのが始まりとなっており、土人形などは長いものでも五代しか続いてない産地が多く、今では作家がいなくなり、手に入りにくい物ばかりなのだ。
そしてもう一つの理由が、歌舞伎人形にある。歌舞伎は、津山と関わり合いが深い伝統芸能で、特に思い入れが強い。
歌舞伎の祖となる出雲阿国。その阿国が『阿国歌舞伎』を誕生させた際に深く関わったとされる名古屋山三郎が出会った地が、ここ津山なのだ。言うならば、この津山が歌舞伎誕生の地ともいえるのだ。そういった理由から特に歌舞伎人形への思い入れは強く、展示するようになるまでは、自宅から持ち出すことすら考えられなかったという。
そんな杉元さんが、展示活動を続けるように考えを変えたのは、津山が歌舞伎誕生の地だということを、多くの人に知ってもらいたいと思うようになったからだ。
実は、津山に縁のある歌舞伎の演目は多数あるという。
いくつかあげると、『津山の月』『鞘当』『一谷嫩軍記』最後に津山出身の三名が討ち入りに加わった『仮名手本忠臣蔵』などなど。
中でも『津山の月』は『阿国歌舞伎~夢への華やぎ』と名を変え十五年前に約一ヶ月の上演が行われるなど、花形演目となっている。
そのことを、津山の人が知らないということが勿体ない、と杉本さんは感じているのだそうだ。
杉元さんの今の夢は、阿国と山三郎が出会ったと考えられる、津山は城東町付近に歌舞伎人形を中心とした、『出雲街道郷土人形資料館』を開館し、津山の人や津山を訪れた人に、歌舞伎と津山の関係を知ってもらいたい。ということだそうだ。
実際に四年前市長に手紙で陳情するなど、アクションを起こしているという。
資料館が出来たら、自らのコレクションを寄贈したいと思っているとのこと。
また今後は、後継者の事も考える時期になってきていると感じ始めたそうだ。
世代交代をしていかないと、将来は忘れ去られるのではないかといった不安もあるのだろう。
郷土玩具に対してはもちろん、津山と歌舞伎の関わりにも興味を持って貰える人を育てなければならないと思っている。杉本さんはお孫さんに期待しているが、もちろんそれに限った話でもないので、興味がある人は杉元さんを訪ねてみるといい。
杉元さんの『出雲街道郷土人形資料館』への思いと、その志を受け継ぐ人を育てるという思いが叶うように願いたいと思う。