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ラスベガスのような津山を

ボウリング プロボウラー南条恵美さん

多くの人が一度や二度はしたことがあるボウリング。
少し昔は、家族で、グループで、地域で、職場で、デートでとボウリングに行っていたものが、最近は何年かに一度くらい行くなど、ボウリングから遠ざかっている人が多い。
第一次ボウリングブーム、世の中のレクレーションがボウリング中心だった世代が、80代となっている中で、実は東京など都会では、コロナ前までボウリング人気が復調気味だったそうだ。
理由が、道具の進化によりスコアが出やすくなっているということらしい。
そんなボウリングを取り巻く環境だが、実は津山にプロボウラーが2名もいるのだ。全国でもプロボウラーが1100人程度しかいない中で、この山間の街、津山に2名と比率的にもかなり高い。
その2名、ご存知の方もいるかと思うが、男子プロの星加猛プロと女子プロの南条恵美プロだ。いずれもユーズボウルに所属している。





今回は、女子プロである南条プロに話を聞いた。プロ入りは2011年の44期生と30代となってからのプロ入り。現在10年目となる。
彼女の話を聞くと実に面白い。
初めてボウリングをしたのが、23~24歳くらいの時と、一般的に考えるとかなり遅い。家族と一緒に行ったのが最初だという。初めていった時から、すぐにボウリングにハマり、翌年の25歳の時には、もうシューズやボールを作り競技として本格的に取り組みだした。そしてこの時に、すでに『プロになる』と決意したということらしいのだ。「今思えば恥ずかしい話だが、なぜか当時は『マイボールを持てばプロを目指すもの』といった固定観念が頭に刷り込まれていた」のだそうだ。
しかし、プロを目指すと言っても、プロ選手の専属コーチをお願いするなどをせず、テレビなどで、プロの投げ方を見てマネをしたり、本を買って基礎を学んだという。例えば、アプローチの歩き方からスパットの使い方などがそうだ。





そうして、週二度ほどマイボールを持って、実家近くのボウリング場まで自転車で通っていた。
ここで「えっ?」と思う人はボウリングを本格的にしたことがある人だ。普通、ボールを作ると重くて持ち運びが大変なので、ホームのボウリング場の会員になり、ロッカーを貰う。しかも会員価格で、割安になったり会員限定の大会にも出たりできる。
なんと南条さんは、それさえ知らず毎回、重たいボールを持って通っていたというのだ。
そんな南条さん、プロを目指して独学スタートしたのに、すぐには大会に参加していない。何年も経ってから初めて試合に挑んだ。その理由は「試合に出る勇気がなかった」からだという。
プロのコーチを付けていないとはいっても、プロが指導するボウリング教室には、たまに行っていたのだそうだ。
プロチャレンジという企画で、憧れの女子プロと一緒に投げられるということで、ワクワク感いっぱいで参加したのだという。




それから、教室に行くのが楽しくて、あちこちのプロ教室を探して申し込んでいたのだそうだ。
プロになったのは、津山に来てから。先輩である星加プロに進められてプロ試験を受けると決めた。
プロ試験は、一次試験と二次試験があり、一次は関西と関東で分かれて開催され、一次を突破した人のみが関東で行われる二次試験を受けることができる。





プロ試験を受ける際には、星加プロに様々な指導をしてもらった。特にメンタル面に関しての事が多く、モチベーションのあげ方など、先輩の実体験からくる貴重な話が、試験本番では、かなり役に立ったという。
そんな甲斐もあって、見事プロ試験にも合格した。
現在は、星加プロと一緒に、所属するユーズボウルでの業務をこなしながら、星加プロレッスン会やプロと一緒にプレイするイベントなどで、お客さんと一緒に参加して投げている。
プロの公式試合は年間十数試合開催されるが、ここ2年はコロナの影響も有り公式戦が少なくなっているとのこと。





「他のプロ選手は上手な人ばかりで、焦る気持ちがある。早くもっと上手くなりたい」などと口にするが、南条プロの成績は今年度アベレージスコア190台で200を越えた年もある。ランキングも70位台と中盤位にいるのだ。他の選手と比べて引けを取っているわけではない。
そんな南条プロに『今後』について聞くと、ユーズボールが『気分はラスベガス』とキャッチフレーズを付けていた。ボウリングを通して、仕事が終わると『ラスベガスのように華やかで、楽しい世界が待っている津山』に貢献できるように頑張って行きたいと話してくれた。

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