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県北から全国大会を目指して

 津山工業高校剣道部。県北では剣道の強豪として、その名を知らしめている。武道の盛んな津山市にあって、過去に何度も全国大会に出場している。
その津山工業高校で剣道部の顧問をしているのが、小坂淳一先生と内田拡志先生のふたり。
今回は、35歳剣道6段、津山工業高校剣道部の顧問となって5年が過ぎた内田先生に話を聞くことができた。





 高校時代は、津山工業高校剣道部で活躍し、個人戦で全国大会にも出場した選手だった。
その高校時代の恩師だった、真野先生の指導に強い影響をを受け、自分も先生のようにこどもたちに接したいと思い、教師の道をすすむことを選んだのだそうだ。
すぐ直近の3月6日にあった全国選抜の岡山県予選では、決勝リーグに進み4校での総当たりを行った。その結果、堂々3位という結果を出した。
この大会では、今年は上位2校が全国大会出場の権利が得られる大会だっただけに、本当にあと一歩だった。
だが、試合に勝って全国大会に出場することだけが、剣道部の意義ではないという。
剣道をする上で、最も大事なものは人格形成だと。「人としての『やさしさ』『思いやり』『気遣い』『負けない心』『あいさつ、礼儀』など身に付けることは、大会に出て試合で勝つよりも数倍大事なことだ」そういった考え方で、生徒たちを指導しているのだそうだ。
その結果が、大会での成績にも通じていると思っていると内田先生はいう。
生徒たちの礼儀や挨拶などの生活態度、同級生など友達への対応などの人間関係の構築の仕方を見ていると、そのような思いが通じていると感じている。
在校中だけでなく、社会に出ても、例え剣道を止めても、剣道部で養った『人の役に立てるように努力する姿勢』を忘れずに、日々を過ごしてほしいというのが強い願いだ。





 コロナ禍となって2年、剣道部においても大きな変化があったという。
最も大きいのが、遠征しての練習試合が組めないことだ。剣道は相手の動きや心の読みあいの部分も大きい。より多くの試合を組むことで、その経験値を積み重ねることができるのだ。それがコロナ禍となり移動が制限されることで、遠征ができなくなるのだそうだ。
県北地区にある津山工業高校は、試合相手が多くない。南部の強豪校と比べて、不利な状況にあるのだ。また、条件は皆同じだが、面をかぶる時はマスクをしたうえでフェイスシールドを着けるようになった。重い防具を身に着けた状態で、呼吸の制限をされるのだ。はじめのうちは相当しんどかったという。今は慣れがあり、なんとか普通に動けているが、生徒たちには申し訳ない思いでいっぱいだそうだ。
 近年の価値観の多様化などもあってか、残念なことに剣道人口も減少してきているのだそうだ。剣道人口が減少することは、剣道部の活動にとっても好ましくない。剣道を盛り上げるためにも、自分たちが出来ることを、愚直に頑張っていくことが大事だということだ。
今は、ひと昔前の部活動のように一年中、全く休みなく、どっぷり部活動を行うということはしない。津山工業高校の剣道部でも、週に一度は休みを取るように務めているのだそうだ。
また、入部してくる生徒は、剣道が強い生徒ばかりではない。強い生徒や弱い生徒がいる。





経験が浅いと、なかなか強くなれない。剣道に限らずスポーツ系の強豪と呼ばれる部活動では、どうしても強い選手を優先してしまいがちになる。しかし津山工業高校剣道部は、部員全員に同じように、練習試合も組むのだ。これは、先に取り上げた『人間』としての形成に、どう当たるかということに配慮してのことだ。




 このような高い志を掲げての部活動を行えるのは、津山工業高校のような伝統校だからこそのところがある。中でもOBなどの支援者の存在が、強く影響している。
特にOBは過去66年で『464名』もおり、部活動に顔を出してくれ、自らが在学中に部活動で身に学んだことを、後輩たちに、そのまま伝えてくれている。このように先輩から後輩へ、そしてまた、その先の後輩へと、おそらくこの伝統は、この先も途切れることなく続いていくのだろう。
その中の一人が、内田先生でもあるのだ。
今回の取材で、小坂先生、内田先生ふたりの顧問で力を合わせ、津山工業高校剣道部の伝統を守り、さらに発展させていく事で、県北の剣道全体を盛り上げ、剣道人口の減少さえも解決してくれる。そう思わせてくれる話を聞かせてもらった。
今後も津山工業高校剣道部の活躍を、注視して見守って行きたいと思う。



TOPインターハイ写真
写真左端 小坂淳一先生 写真右端 内田拡志先生

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