鏡野町奥津 光永俊一さん
奥津温泉街から直線距離で1キロ半ほど離れた山里に一軒家がある。
周りの家数も少なく、山と川そして田畑が広がる羽出地区。
岡山県の天然記念物の『七色樫』から数百メートル。そこに古民家を改装した、一棟貸し切りの宿「かなでや」がある。
大きな家の裏には林があり、そこを散策したり、時期には育てているシイタケの収穫もできる。また、家の両脇には、向かって左に芝生広場が、右に自家菜園も整備されているのだ。
旅館経営を通して「山間部の空き家問題や奥津の活性化にも役立てるのではないか」そんな思いも、あったそうだ。
そんな、『かなでや』を経営する光永俊一さんにインタビューをした。
滋賀の大学を出て、5年前までは岡山県内でサラリーマンをしていたという。それが一念発起「何か自分でしたい」といった思いから離職。
どうせするなら結果的に地域の為になることをしたい。色々考えた結果、今の民宿業を始める事としたのだ。
特に、自身が前職で海外営業部にいたこともあり、英会話をこなせるため、世界中の人に、この奥津の自然を知ってもらいたいという思いもあったという。
民宿とはいえ一棟丸貸しなので、ペンションのような使い勝手の自由度があるものだ。
今の場所は、温泉街から少し離れている。なぜこの場所で始めたのか、気になるので聞いたところ、「奥津で古民家の空き家を探していたので、特に羽出地区である必要はなかったんです。たまたま父が、この場所に大きな空き家があることを知っていたので、持ち主を調べて連絡したら、もう帰ってこないと言う事だったので、購入を決めたという事です」と教えてくれた。
実は新型コロナの流行は、古民家を買ってリホームに入る直前だったそうだ。そのまま計画を進めるべきか、中止するべきか悩みに悩んだという。しかし、オープンまでに収まるかも知れないという期待を込め、準備の計画を進めることとした。
まずは、購入した家屋の整理から手を付けた。業者に依頼せず、家族総出の仕事となった。コスト面を考えてというのが、最も重要な要素となった決断だった。
実際に自分たちで片付けを行ってみると、音を楽しめるタンスを始め、重厚な古い家具類や絵画、照明器具などが出てきて、思わぬメリットもあったのだそうだ。
そうはいっても、古民家の中を整理するのは大変だ。古い畳などもかなり重たい。家が大きいだけに、家族だけでは大変だ。毎日のようにごみ処理私施設にごみを満載し通った。
庭の整備を依頼していた庭師の押柄さんも、仕事を抜きに大変な整理段階から手伝ってくれたのだという。さらに、リホーム作業に入っても、簡単な塗装などは自分たちでするようにし、コストを最大限に下げるように務めた。
そんなこんなで、オープンにこぎつけたのが、昨年の6月と、オリンピック前の新型コロナが席巻していた時期となってしまった。大変な時期のスタートとなり、客は来ず、海外に向けて奥津に来てもらって、良さを知ってもらいたいという目的も、新型コロナによる入国制限で全く何もできていない。
しかし、行政関係の目に留まり、雑誌やテレビに取り上げてもらったこともあり、国内のお客さんは、少しずつでも増えているようだ。
中でも、田舎体験は好評らしく、かまどを使った『おこわ』作りなどの料理体験や自家菜園での収穫、時期にはシイタケ取りなどが喜ばれている。海外からの方は上手くいってないが、国内の人にも奥津に来てもらうことについては、前に向いているようだ。客層も近畿圏や県内から家族で訪れる人が非常に多いという。
他にも、奥津の良さを知ってもらうため、実家から温泉水を汲んできて、ゆっくりと温泉を楽しんでもらうことも行っている。また、純和風の庭もかなり評判が良いようだ。
厳しい中でも一定の手ごたえはあった。今後はコロナ後を見据えて、予約サイト等を活用しながらPRを積極的に行ったり、SNSで海外に向けてもPRしていく事を考えている。
さらに、経営が軌道に乗れば、「コンサートやマルシェなどを開催して、普段は金額的に遊びに来てもらいにくい地域の皆さんに、喜んでもらいたい」といったことも思っているということ。
今はコロナ禍が続き、1波2波で収まる気配はなく、5波、6波、7波と続き、なかなか外国人が観光目的で入国することは難しいが、近い将来、奥津に外国人の姿を、ちょくちょく見かける日が来るかもしれない。
その日が来るまで、頑張って欲しいものである。