津山市下田邑の河原さんはいつも笑顔だ、いつも笑っている、初めてお目にかかった時からとてもやさしい。
一つしか作らない
河原三郎さんの作った「螺鈿蒔絵菓子器」を一目見た時には、かすかなめまいを感じたほど。
贅を尽くした厳選された材料を使ってやさしいカーブを描く器の形は人の手によって作られたものかと、わが目を疑った。
器はシャイニーブルーの光をたたえ、小花模様の花びらの一つ一つに貝の持つ奥深い何層もの光を際立たせ金粉すら全体の引き立て役になっているのが不思議。
「同じものはない一点ものです。工程は緻密で、作った後は二度と同じものを作ろうと思わない」という。
それだけに一つ一つにかける時間、工程、労力は想像を絶するものに違いない。
始まりは家族の影響で
16歳離れた兄(河原瑛州・潔)の影響で芸術に興味を持ったという。
兄は書家だったが絵もうまく、兄のように描きたいと小学校5年生の時にコンテで「キムノバック」の絵を描いたのが原点。
小学生が書いたものとは思えないまるで写真かブロマイドのような絵だ。
同級生の女の子から好きな俳優やスターの絵を描いてと頼まれ何枚も描いていたという。
「それからは独学で絵をかいたりモノを作ったりしていました」ご家族も父、いとこなど芸術に造詣が深い人も多く河原さんの芸術の土壌は家族に醸成されたのではないだろうか。
挿絵の勉強もしたが、今の漆芸にたどり着くにはやはり家族の導きがあった。
鶴山彫刻の岩本築山、日本伝統工芸正会員漆芸家・小松原賢次氏に師事し技を磨いていった。
奥深い漆芸
昭和49年のある日、奥様の看護師仲間の木彫りの展示会を見に行ったところ「やってみようかな」と心動かされたのが漆芸の世界だった。
漆芸は奥が深く、乾漆は石膏や粘土で作った器物に石鹸水をぬり、麻布を5回から6回はり器などの形を作り、はずし内側も同様にする。
厚さや質感、形など自分の納得するものになるまでは妥協しない。
先程の積層「螺鈿蒔絵菓子器」の形は、本体と蓋の二つに分かれているのだが、積層は木をくりぬいて作るのではなくシナベニヤをリング状に切りとったパーツの大小を組み合わせ重ね貼り付け器物を作る。
乾漆も積層もその後、地の粉一辺地(積層はここまで)、二辺地、三辺地、最後にどちらも霧粉を施し生漆で固め、器面を平らになめらかしにて、木漆を一回ぬり生地を固め、黒漆を5回から6回塗り、器面を砥いで加飾に入る。
表面がシャイニーブルーのような色漆のこともあるというのだから「気が向いたときにしか作りません」と時間がかかるのは覚悟の上なのだろう。
小品をつくりギターも本格派
最近は大作を作る合間に、福を呼ぶという「フクロウ」のブローチやループタイを作っているという「ナンテンなどの木を使って縁起のいいものをプレゼントにしたい」との思いは、奥様の友だちからも好評だそうだ。
そんな河原さんだが昭和57年には大病をして左手の動きが・・・と言いながら「リハビリを兼ねてやっているんですよ」と笑いながら引いてくれたギター。
古賀メロディーを当時はやりの独特なギター伴奏をされるものだから、私は思わずギターに合わせ歌い、楽しいひと時を過ごさせていただいた。
漆芸は美術の部類
漆芸は「芸術」と心から思った、やることが細かい。
自分自身の感覚で箱の形を整えきれいな曲線を作る、素材として使用する貝殻をコンマミリの単位の厚さを決め置いていく集中の必要な作業、漆を薄く塗って固めたもので漆板(しつばん)を自作して形を切り抜き、作品の一部に乗せるセンス。
金粉や銀粉も高級品を使い大きさにもこだわっている、自分が納得しないと作品は出来ないだろう。
河原さんは自慢もしないし、偉そうにもしない。
見せてもらったものにいちいち感動した挙句、片付けもしないで、思いっきり歌って楽しんだ私を笑顔で外まで送ってくださった河原さん。
ありがとうございます。
やさしい河原さんの次の大作を楽しみにしています。
河原さんは鶴山彫と、漆・楽山工房で指導もしている。