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約25年前に奇跡の子牛『元気くん』を迎えに

畜産運送会社社長 前田憲治さん

 2020年の正月に21歳で大往生した奇跡の子牛『元気くん』。
1998年10月の台風で吉井川が氾濫した際に流され、牛窓町の黄島に傷一つなく辿り着き、奇跡の子牛としてマスコミで取り上げられた子牛だ。
今回は、その元気くんを瀬戸内市まで迎えに行き、イベントの際には毎回『元気くん』を運送していた、前田憲治さんに話を聞くことが出来た。




 前田さんは、現在60代で畜産運送会社をバリバリで経営している。
これまで、自分の山に出るカブトムシを採取して保育園に寄付したり、子育て支援団体の顧問を引き受けるなど、社会活動にも積極的に取り組んでいる。
津山生まれの津山育ちだが、一時、関西で理髪師になるため務めていたという。理髪師は免許を取得したが、トラック野郎の映画に憧れ、運送の世界に転職する。前田さんのお父さんも運送業だったこともあり、すんなりと職替えができたそうだ。往年は、それなりにド派手なデコトラを転がしていたとのこと。
お父さんと別れて仕事を始めた後も、畜産運送を行っていたため、『元気くん』の搬送も依頼されることとなったのだ。




 洪水で流されて話題となった1998年当時、『元気くん』は6ヶ月の子牛。
当時、この台風10号の被害は全国で死者不明者15名、岡山県内でも死者不明者5名の大災害だった。
水害の後、農協から電話があり、洪水で流された子牛を瀬戸内市まで迎えに行って欲しいという連絡があり、耳を疑ったという。なんと瀬戸内に浮かぶ黄島で見つかったというのだ。




 瀬戸内市牛窓の港に着くと、漁船に乗せられて港まで送ってこられた子牛が、すでにいたという。その時から、全く人を嫌がらず人懐っこい感じで、既に人馴れしていたとのこと。
ケガも全くなく、元気そのものだった。トラックも嫌がる事なく、すんなりと乗り込んでくれた。
そのまま、牧場まで帰り、その後奇跡の子牛として「おかやまファーマーズマーケット・ノースヴィレッジ」に寄贈されて、そこで2020年の大往生まで幸せに暮らしたという。




 1998年には、美作女子大学(当時)作成の紙芝居も登場し、その翌年には『きせきの子牛』というタイトルで、絵本も発刊された。
また、一昨年から、アットタウンの投稿欄でお馴染みの紙芝居おじさんが「奇跡の子牛元気くん」という『元気くん』の話のオリジナル紙芝居を上演している。
 



 元気くんは、ノースヴィレッジに移ってから、牛にゆかりのある牛窓神社をはじめ、幾度となく、夏祭りのイベントなどで県内外に出演をしていた。その度に、会場まで『元気くん』を運んでいたのが、前田さんだ。
いつも、搬送に前田さんが行くと、『元気くん』は前田さんの後を追い、自らトラックに乗り込んでくるほどだったという。畜産搬送が仕事の前田さんから見ても、今まで、他にそのような牛とは出会ったことはないのだそうだ。
そんな多くの人から愛された『元気くん』、2020年に永眠した。
しかし、その翌年の2021年には、ふるさと納税型クラウドファンディングにより寄付が集められ、実物大のブロンズ像が建てられ、元気くん資料館も開設された。
その視線の先は、6ヶ月の時に流され、元気だった頃にイベントに最も多く参加した牛窓町の方角を向いているのだという。




 岡山県北では、多くの人が知っている『元気くん』だが、今回の取材は、元気くんに関わる全ての搬送を行ってきた前田さんの視点から、元気くんについて聞けたことを書いた。
別角度から見た元気くんも、皆さんが見た『元気くん』と余り変わらない、そのままの『元気くん』だったということが、よく分かる取材となった。
いつまでも『元気くん』を忘れないように、といった思いを込めて、今回の記事にする。

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